地域連携事業 中世~近世「時代のうねりの中で」編ポイント紹介

中世~近世「時代のうねりの中で」編ポイント紹介

  • 安土桃山時代

    28.今井町伝統的建造物群

    称念寺本堂:今井町の中核となった寺院。建物は江戸時代に再建された浄土真宗本堂。後の改修はあるが当初の特徴を残した建物である。
    今井まちや館:今井町にある大型町家の基本的構造を持つ建物。
    今井まちなみ交流センター「華甍」(はないらか):奈良県の指定文化財。1903年高市郡教育博物館として建設、現在は資料館。

    所在地 奈良県橿原市今井町1丁目10

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  • 安土桃山時代

    31.正伝永源院

    織田長益(有楽斎)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。織田信長の弟で、利休十哲の一人。関ケ原の戦いでは徳川家康に従い、その功績から大和国内に3万石を与えられた。長益系織田家嫡流初代。晩年には、京都の建仁寺の塔頭の一つである「正伝院」を再興し、茶室「如庵」を建造した(国宝・復元)。

    所在地 京都府京都市東山区小松町586

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  • 室町時代

    16.吉田寺 (多宝塔) (奉安殿)

    吉田寺の多宝塔は、本尊丈六阿弥陀如来像を刻まれた栗樹の切り株の跡に建立されたと伝えられている。寛正四(1463)年に創建され、国の重要文化財に指定されている。
    重要文化財である本尊丈六阿弥陀如来像は境内の栗樹によって造像され、奉安殿にて安置されている。

    所在地 奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1丁目1−23

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  • 室町時代

    17.鹿背山城

    大乗院寺社雑事記では文明11年、興福寺の成身院(学侶)が入城した。その後、松永弾正久秀が信貴山城を拠点として大和に侵入し、奈良市に多聞山城を築城。この間に興福寺は松永に屈しており鹿背山城も松永が手に入れたものと考えられる。

    所在地 京都府木津川市鹿背山鹿曲田

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  • 18.円成寺 (絹本着色方便法身尊像)

    円成寺は当初は真言宗の寺院であり室町時代後期に浄土真宗になったとされる。尊像の裏書きには「大谷本願寺釈実如(花押)」とあり、蓮如の息子で本願寺第9代門主を務めた実如の名が記される。

    所在地 京都府木津川市山城町上狛西下52

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  • 室町時代

    19.橘寺(木造聖徳太子35才坐像)

    聖徳太子建立七大寺の一つで太子が誕生した場所と言われる。現在の本堂(太子殿)は、1864年に再建されたもの。ご本尊の木造聖徳太子35才坐像(重文)は、太子35歳の勝鬘経を講じた時の姿で、椿井仏師の舜慶(※と別人)によって1515年に制作された。

    所在地 奈良県高市郡明日香村橘532

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  • 室町時代

    20.法隆寺(弘法大師坐像)

    法隆寺は、世界最古の木造建造物で、1993年に日本初の世界文化遺産に登録された。弘法大師坐像(重文)は、護摩堂に安置され、1375年に椿井仏師の舜慶(※)らにより制作されたことが像の底に記されている。毎月28日の護摩供養の日に拝観することができる。

    所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1

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  • 室町時代

    21.龍王山城

    天文(1532~1555)年間、橿原市の十市周辺を本拠としていた十市遠忠が山城として拠を構えた。永禄(1558~1570)年間には、松永久秀の支配するところとなり、改築されている。
    城は南・北二つの峰に築かれ、別々の城が一つの城を形づくる連郭式山城(別城一郭の構え)。

    所在地 奈良県天理市田町

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  • 22.信貴山城

    戦国武将・松永久秀は、三好長慶の命令を受けて大和国へ侵攻する。信貴山城に入り、大規模な改築・拡張を行い、4層の天守櫓を築いた。元正5(1577)年、落城。松永久秀は天守に火をかけ、城と運命をともにした。

    所在地 奈良県生駒郡平群町信貴山1308

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  • 室町時代

    23.多聞城

    多聞城は、永禄2(1559)年から翌年にかけて、松永久秀が興福寺勢力の抑えとして築いた城。東大寺や興福寺を見下ろす場所にあったことから、大和支配の戦略的拠点に適していた。松永久秀は大和国に侵入後、多聞山城を本拠とし、西の拠点を信貴山城、東の拠点を龍王山城、北の拠点を鹿背山城とする四城体制を構築したと考えられている。

    所在地 奈良県奈良市法蓮町1416−1

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