歴史街道計画

歴史街道計画

Vision

「歴史を楽しむルート」として、
日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋をつくり、内外に発信していこう――

国際社会のなかで自国の文化や歴史を語れない、という問題意識のもと、
1988年「歴史街道づくりの提言」が発表されました。

この提言を受けて、経済界、行政、民間企業の賛同を得て、
1991年、歴史街道推進協議会が発足。

現在、官民あわせて172団体および
歴史街道計画を応援する「歴史街道倶楽部」会員約1900名の
ご支援をいただき各種事業を進めています。

「歴史街道計画」は、先人から受け継いだ豊かな歴史文化を
次の世代につなげていく、まさにSDGsの取り組みです。

2020年9月 歴史街道推進協議会

古代~近代へ
歴史をたどる21の舞台

歴史街道のメインルートは、神話のまち伊勢。古代から中世にかけての三つの都、飛鳥、奈良、京都。元禄文化が花開いた商都、大阪。そして、明治以降の国際交流を象徴する都市、神戸。これら日本史を代表する各地を結び、歴史の舞台を旅するルートです。

  • 古代史 古代史ゾーン
  • 奈良時代 奈良時代ゾーン
  • 平安・室町時代 平安・室町時代
    ゾーン
  • 戦国・江戸時代 戦国~江戸時代
    ゾーン
  • 近代史 近代ゾーン
  • ネットワーク ネットワーク
豊かな自然と歴史文化をたどる3つのネットワーク
仁徳天皇陵古墳など古代の遺跡が集積する大阪南部と大陸からの文化の入口であった丹後半島周辺をめぐる「古代史のネットワーク」。兵庫・滋賀・福井を中心に、城郭や古戦場、古くからの趣を残す町並みなどをめぐる「戦国~江戸時代のネットワーク」。そして、三重・奈良・和歌山にまたがり、吉野・高野・熊野などの聖地やそれに続く参詣道などをめぐる「紀伊半島のネットワーク」。歴史街道の舞台は豊かな自然と歴史文化が今も脈々と受け継がれています。
  • 電脳浮世絵「歴史街道二十一景」伊勢 内宮宇治橋
    伊勢 内宮宇治橋 ©T.Okamoto

    歴史街道二十一景伊勢 内宮宇治橋

    八百万神の統率者「天照大神」をまつる内宮、衣食住をはじめ産業の守り神「豊受大神」をまつる外宮と摂社、末社、所管社の125からなる伊勢神宮。石文化を代表するパルテノン神殿としばしば対比され、木文化の代表として有名なこの建物は、20年に一度、社殿を建て替え、装束、神宝なども新たに造り替える「式年遷宮」によって今も生き続け、「生なり」の伝統を現代に伝えています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」山の辺の道 桧原神社
    山の辺の道 桧原神社 ©T.Okamoto

    歴史街道二十一景山の辺の道 桧原神社

    日本最古の道といわれる山の辺の道。奈良から桜井に至る約35kmの古道沿いには、石上神宮、長岳寺、大神神社などの寺社のほか数多くの古墳が点在しています。大神神社の摂社・桧原神社は、三輪山をご神体とし、境内には本殿、拝殿はなく三ツ鳥居を通して拝します。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」飛鳥 石舞台古墳
    飛鳥 石舞台古墳 ©T.Okamoto

    歴史街道二十一景飛鳥 石舞台古墳

    飛鳥の地には渡来人の手によるという数々の石造物があります。亀石、酒船石、鬼の雪隠、鬼の俎板など。誰が、また何の目的で造られたのか、もの言わぬ石造物が、古代へのロマンをかきたてます。ひときわ巨大な石舞台古墳は、横穴式石室をもつ国内最大級の方墳。75トン級の巨石が30数個使われた巨大な墓は、蘇我馬子の墓ともいわれています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」斑鳩 法隆寺
    斑鳩 法隆寺 ©T.Okamoto

    歴史街道二十一景斑鳩 法隆寺

    法隆寺一帯は、古代美術の宝庫。仏像はもちろん、玉虫厨子、天寿国繍帳など、国宝や重要文化財が約3000点あり、世界遺産に登録されています。この寺を発願した聖徳太子は、仏教伝来に伴う崇仏派・蘇我氏と崇神派・物部氏の争いに際し、「神仏習合」の知恵をあみだしました。

  • 電脳浮世絵「歴史街道二十一景」平城宮跡 平城宮跡と朱雀門
    平城宮跡 平城宮跡と朱雀門©T.Okamoto

    歴史街道二十一景平城宮跡 平城宮跡と朱雀門

    710年、唐の都・長安をモデルに、東西5.9km、南北4.8kmの広大な都が造られました。世界遺産にも登録されている平城宮跡は、朱雀門や第一次大極殿、東院庭園などが復原され、歴史公園となっています。公園内には発掘調査資料や出土品を展示する平城宮跡資料館、遺構展示館のほか、大極殿の構造模型や平城宮全域の復原模型などを展示する「平城宮いざない館」などが整備されています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」西ノ京 薬師寺眺望
    西ノ京 薬師寺眺望©T.Okamoto

    歴史街道二十一景西ノ京 薬師寺眺望

    南都六宗のひとつである律宗の総本山唐招提寺。「天平の甍」で名高い金堂をはじめ講堂、多くの苦難の末、来日を果たした鑑真和上像を安置する御影堂、日本最古の校倉などが緑のなかに天平の息吹を今に伝えます。天武天皇が皇后の病気平癒を祈り藤原京に創建し、平城遷都に伴い現在の場所に移された薬師寺。美術研究家のフェノロサが「凍れる音楽」と評した東塔は、薬師寺で唯一現存する建物。解体修理を終え、2020年春に美しい姿がよみがえりました。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」奈良公園 東大寺大仏殿
    奈良公園 東大寺大仏殿©T.Okamoto

    歴史街道二十一景奈良公園 東大寺大仏殿

    シルクロードの終着点・奈良。奈良公園一帯は、春日大社、興福寺など「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された文化財が集積する場所です。中心となるのは、聖武天皇の発願により建立された東大寺。南大門は日本最大の山門で、大仏殿は世界最大の木造建築物。「大仏さん」で親しまれている本尊の毘廬舎那仏は世界最大の溶着銅像です。

  • 電脳浮世絵「歴史街道二十一景」宇治 平等院鳳凰堂
    宇治 平等院鳳凰堂©T.Okamoto

    歴史街道二十一景宇治 平等院鳳凰堂

    宇治は『源氏物語 宇治十帖』の舞台。平安時代にはここに、貴族たちが競って別荘を建てました。11世紀、藤原氏による平等院もそのひとつです。藤原氏の別荘を道長の子・頼通が寺院としました。十円玉のデザインとしても有名な鳳凰堂(国宝)は、鳳凰が翼を広げたように見えることと、屋根の上に一対の鳳凰が据えられていることから、こう呼ばれるようになりました。本尊の国宝阿弥陀如来坐像は、仏師定朝作として現存する唯一確実な像とされています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」岡崎 平安神宮大鳥居
    岡崎 平安神宮大鳥居©T.Okamoto

    歴史街道二十一景岡崎 平安神宮大鳥居

    平安遷都1100年を記念して、平安京大内裏朝堂院を8分の5のスケールで再現した平安神宮。7代目小川治兵衛による池泉回遊式庭園の神苑は国の名勝。約1万坪の庭園は東、中、西、南の4苑にわかれ、紅しだれ桜、杜若、花菖蒲など四季おりおりの趣があります。平安神宮とその南側に広がる岡崎公園一帯は、美術館や伝統産業ミュージアム、図書館など京都の文化ゾーンとなっています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」東山 清水寺
    東山 清水寺©T.Okamoto

    歴史街道二十一景東山 清水寺

    798年、坂上田村麻呂が私財を寄進して創建した清水寺。「清水の舞台」で知られる国宝の本堂、その東には寺名の由来となった「音羽の滝」があり、古来より清めの水として尊ばれています。豊臣秀吉の正室・北政所ゆかりの高台寺、京都三大祭りのひとつ「祇園祭」を祭礼とする八坂神社など、南は清水から北は八坂、知恩院にかけて、東山の裾野一帯には、歴史的な史跡が点在しています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」嵐山・嵯峨野 渡月橋
    嵐山・嵯峨野 渡月橋©T.Okamoto

    歴史街道二十一景嵐山・嵯峨野 渡月橋

    景勝地として知られる嵐山・嵯峨野。平安時代、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を清めた野宮神社や足利尊氏創建の天龍寺、嵯峨天皇の離宮を寺院に改めた大覚寺など多くの寺社が点在しています。平安時代の初めに架橋されたといわれる渡月橋は、亀山上皇が「曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るようなさまだ」と感想を述べられたことから「渡月橋」と名付けられました。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」きぬかけの路 龍安寺石庭
    きぬかけの路 龍安寺石庭©T.Okamoto

    歴史街道二十一景きぬかけの路 龍安寺石庭

    宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山(別名きぬかけ山)に絹を掛けたと伝えられる故事にちなみ命名された「きぬかけの路」。足利義満が別荘として建てた金閣寺のほか、足利家の菩提寺・等持院、宇多法皇が御座所を置いた仁和寺などの寺社をめぐることができます。枯山水の庭園で名高い禅寺・龍安寺。大小15個の石を配した白砂の庭園は、見る人の心を映す「禅の境地」を表現したものといわれています。

  • 電脳浮世絵「歴史街道二十一景」二条城 二の丸御殿
    二条城 二の丸御殿©T.Okamoto

    歴史街道二十一景二条城 二の丸御殿

    徳川家康が上洛の際の宿泊所として築城。天守閣は江戸中期に焼失しましたが、国宝・二の丸御殿や重要文化財・唐門、特別名勝・二の丸庭園など、美しく壮大な桃山文化の遺構は見応えがあります。徳川家康と豊臣秀頼の「二条城会見」や、徳川慶喜による「大政奉還」など、歴史の重要な転換点の舞台となった場所です。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」天王山 山崎合戦の地
    天王山 山崎合戦の地©T.Okamoto

    歴史街道二十一景天王山 山崎合戦の地

    天下分け目の合戦「山崎合戦」の舞台となった天王山。標高270mの山頂には、この戦いに勝利した羽柴秀吉が築城した山崎城跡が残されているほか、宝積寺や大念寺、観音寺、酒解神社などの古社寺があります。ここは、京都と大阪を結ぶ交通の要衝で、山の中腹からは木津川、桂川、宇治川が合流し淀川となる三川合流地点を臨むことができます。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」大阪城 千貫櫓
    大阪城 千貫櫓©T.Okamoto

    歴史街道二十一景大阪城 千貫櫓

    「山崎合戦」に勝利した羽柴秀吉は、柴田勝家を賤ヶ岳に破ると、大坂の石山本願寺跡に大坂城を築き、ここに移りました。現在の天守閣は昭和6年、市民の寄付により再建されたもので、文字通り「大阪のシンボル」。館内は歴史資料館となっており、8階は大阪市内が一望できる展望台になっています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」道頓堀 道頓堀のにぎわい
    道頓堀 道頓堀のにぎわい©T.Okamoto

    歴史街道二十一景道頓堀 道頓堀のにぎわい

    元禄時代から続く繁華街、道頓堀。1620年代から芝居小屋の設置が認められ、中座、角座、浪花座など、芝居小屋のまちとしても賑わったところです。近松門左衛門、竹本義太夫、井原西鶴などが活躍したのも、このあたりです。近くには、大阪で生まれ育った伝統芸能・人形浄瑠璃文楽上演のための舞台機構を備えた劇場、国立文楽劇場もあり、定期的に文楽や歌舞伎、邦楽などの公演が行われています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」中之島・適塾 適塾と天神祭
    中之島・適塾 適塾と天神祭 ©T.Okamoto

    歴史街道二十一景中之島・適塾 適塾と天神祭

    ビル街の中にひっそりと建つ適塾は、大塩平八郎の乱の翌年、焼け跡の街に建てられました。蘭学を通して人材育成をしようとするこの塾からは、福沢諭吉、橋本左内、大村益次郎など、後の日本の近代化を支える人材が輩出されました。水都大阪の夏を彩る天神祭は日本三大祭のひとつ。船渡御では、5,000発の奉納花火が川面を染めるなか、100隻余の大船団が行き交います。

  • 電脳浮世絵「歴史街道二十一景」宝塚 花の道
    宝塚 花の道©T.Okamoto

    歴史街道二十一景宝塚 花の道

    宝塚大劇場は、大正13年に創立された宝塚少女歌劇団の本拠地(現在は宝塚歌劇団)で、日本で最初のレビュー「モンパリ」が上演された劇場です。花、月、雪、星、宙の5つの組が交替で公演を行っています。宝塚駅から劇場までは、乙女たちの華やかな舞台をイメージする遊歩道「花のみち」でつながっています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」有馬温泉 有馬温泉の街
    有馬温泉 有馬温泉の街©T.Okamoto

    歴史街道二十一景有馬温泉 有馬温泉の街

    奈良時代、行基がこの地に温泉寺を建立、以来都の貴族も入湯に来たといわれています。豊臣秀吉は温泉場を整備し、千利休を伴って茶会なども催しました。鉄さび色の金泉と無色透明の銀泉、そして炭酸泉があり、万病に効くといわれています。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」北野異人館街 北野異人館街
    北野異人館街 北野異人館街©T.Okamoto

    歴史街道二十一景北野異人館街 北野異人館街

    明治の開港以来、神戸には海外から多くの人々が移り住んできました。港に近い外国人居留地に加え、外国人と日本人の両方が住む「雑居地」なるものが設けられました。北野は異人館のまち。現在も、うろこの家をはじめ、風見鶏の館、萌黄の館、ラインの館など16館が公開され、往時を偲ぶことができます。

    電脳浮世絵「歴史街道二十一景」神戸港 メリケン波止場跡
    神戸港 メリケン波止場跡©T.Okamoto

    歴史街道二十一景神戸港 メリケン波止場跡

    19世紀半ば、日本は欧米列強からの開国要求に応じ、函館、新潟、神奈川、兵庫、長崎の5港を開港しました。神戸港は海外のさまざまな文化の窓口として、その役割を果たしてきました。神戸港震災メモリアルパークは、メリケン波止場の一部を被災したままの状態で保存し、神戸港の被災状況やその復興の過程を中心に、港の復旧、復興に努めた様子を後世に伝えることを目的につくられました。

歴史街道計画3つの目標

より多くの人々に日本の歴史の新しい楽しみ方を提供します。歴史街道計画は「日本文化の発信基地づくり」「歴史文化を活かした余暇づくり」「歴史文化を活かした地域づくり」の3つを柱に、多彩な事業を展開していきます。

  • 「日本文化の発信」

    地域が広域的に連携し、寺社などを舞台にしたコンサートや歴史的風土のなかでのウォークラリーなど、歴史文化とふれあうイベントなどを実施。また、あらゆるメディアを活用して、国内はもとより世界中の人々に、日本独自の歴史や伝統を魅力的にアピールします。

  • 「歴史文化を活かした地域づくり」

    古い町並みや貴重な自然環境を守り、有効に活用した整備によって、歴史街道にふさわしい雰囲気をつくっていきます。そして何よりその地域の人々の暮らしに根づいた、ゆとりと潤いのある心地よい環境づくりを目指します。

  • 「歴史文化を活かした余暇づくり」

    歴史街道全体が便利で快適なことはもちろん、訪れる誰もが知的興奮を味わえる空間を演出します。移動自体を楽しくする乗り物や、スタンプラリーやクイズラリーなど、楽しい空間づくりを考えます。

事業計画および活動内容で、ご興味のある分野は下記までお問合せください。

歴史街道推進協議会 総務企画部
大阪府大阪市北区中之島2-2-2 大阪中之島ビル7F
TEL 06-6223-7744 (受付:月~金 / 10時~17時)