時空の旅 大阪府高槻市 高槻城跡を訪ねよう

戦国~江戸時代

歴史の現場を訪ねよう

高槻城跡を訪ねよう

高槻城跡

 高槻に本格的な城が築かれたのは戦国時代のことでした。

 1568年、織田信長は将軍候補の足利義昭を擁立し、京都周辺地域を治めました。高槻には、入江氏という有力者がいましたが、信長と対立し、殺害されてしまいます。義昭の家臣であった和田惟政は入江氏滅亡後、高槻に入り本格的な城を築きました。ところが、そのわずか2年後、惟政は戦死します。息子の和田惟長が跡を継ぎますが、家臣と対立し、1573年に高槻城を追われました。この時、惟長を退けた家臣の一人が高山右近です。

 新しい城主となった右近は、高槻城の周りに城下町を成立させました。城下町には多くの武士や農民、職人らが住み、幅の広い堀で囲まれていました。熱心なキリシタンであった右近は城下に教会やセミナリオ(神学校)を建て、宣教師らを招きました。教会の周囲には広い庭があり、菊やバラ、百合が咲き、魚の泳ぐ池には大きな十字架が建っていたと記録されています。また、教会の隣には墓地があり、キリシタンらが埋葬されました。

 1582年、本能寺の変で明智光秀が織田信長を討つと、羽柴(豊臣)秀吉は天神馬場(高槻市)に本陣を置いて光秀と戦い、これを破ります。光秀に勝利した秀吉は大坂城を築き、高槻を含む周辺地域に一族を配置しました。この影響で、高山右近は高槻城を去ることとなりました。

 秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は江戸幕府を開きます。徳川家にとっても高槻は重要な拠点とみなされ、直接の支配が行われました。大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後、1617年に幕府は高槻城の大改修を行いました。そして、3層の天主と高石垣を備えた近世城郭としての高槻城が登場したのです。

 その後、めまぐるしく城主が変わりますが、1649年、永井直清が高槻城主を命じられます。直清の父直勝は譜代の徳川家臣で、兄尚政も江戸幕府の重職を担った人物でした。直清以降、幕末まで、13代にわたって永井家が高槻を治めました。

 明治時代になると廃藩置県によって高槻藩は消滅し、1874年には石垣石を鉄道工事に使用するため、高槻城は取り壊されました。その後、都市化が進んだこともあり、現在、高槻城の姿は地上に見られません。しかし、町なかを観察してみると、その痕跡がいろいろと見つかります。

【高槻市立しろあと歴史館】

 2003年、高槻城三の丸跡の一画にオープンした歴史博物館です。常設展示室では、高槻城をはじめ、近世の高槻をテーマに、資料や模型などでわかりやすく紹介しています。

アクセス
阪急「高槻市」駅下車 徒歩約10分
TEL:072-673-3987
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌平日、年末年始(12月28日~1月3日)

【高槻城公園】

 旧高槻城三の丸跡を中心とする地区に作られた公園です。公園内には高山右近像や、城下町の商家を移築・復元した歴史民俗資料館、城の外堀の跡(段差)などが見られます。

アクセス
阪急「高槻市」駅下車 徒歩約10分

【高槻市立歴史民俗資料館】

 江戸時代中頃、高槻城下の紺屋町(現・高槻町)に建てられていた商家を移築・復元したものです。建物は、市の有形文化財に指定されています。

 現在は、高槻市の昔の生活道具や農具などを展示する資料館として活用されています。

アクセス
阪急「高槻市」駅下車 徒歩約10分
TEL:072-673-6446
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌平日、年末年始(12月28日~1月3日)

【高山右近高槻天主教会堂跡】

 天主教会堂は、1574年に高山右近の父である飛騨守が建てました。宣教師ルイス・フロイスの記録によると、大きな木造の会堂と宣教師の宿舎、池を設けた美しい庭園を備え、一画には大十字架が建てられていたとされています。

 周辺の発掘調査では27基の墓が確認され、蓋に十字架が書かれた棺や、木製のロザリオ(キリシタンが祈りの時に使う数珠状の道具)が見つかっています。

アクセス
 阪急「高槻市」駅下車 徒歩約10分(野見神社内)

高槻城模型
  • ろあと歴史館
  • 高山右近像が立つ高槻城公園
  • 高槻市立歴史民俗資料館
  • 高山右近天主堂跡