時空の旅 京都(室町時代)庭園の革命・枯山水

平安~室町時代

日本史を旅する⑦

京都(室町時代)庭園の革命・枯山水

 宇治、東山、比叡を結んだ「平安ルート」、八瀬、大原から大徳寺に到った「鎌倉ルート」に引き続き、一本の街道沿いに南北朝・室町の文化を見ていこう。

「型の文化」の誕生

 伊勢から神戸まで。いくつもの寄り道をしながらのタイム・トラベルは、京都市街を半周し、大徳寺に着いた。

 鎌倉禅の代表格として、すでにご紹介ずみの寺域を、縦に横切る。

 東滴壺(とうてきこ)や滹沱底(こだてい)といった庭が名高い龍源院(りょうげんいん)。キリシタン大名・大友宗麟の十字架の石組み庭園がある瑞峰院(ずいほういん)。広い寺域の中にある、これら20余りの寺々を左右に見ながら、北のはずれ大仙院に着く。

 さて、室町時代に生れた日本の文化は、そのいくつかが、今の私たちの日常生活に、ごく自然に伝承され、生き続けている。その最たるものは書院造りだろう。

 大仙院入口の左手にある国宝「玄関」や利休が秀吉をもてなした茶室「生苕室(すいしょうしつ)」などは、さしずめ日本の家の入口や客室のルーツとでもいえるものだろう。これらは、今では一部の人しか使用できないが、16世紀初頭の創建時そのままの姿で伝えられている。襖や障子で仕切られた本堂も、そういえば今の日本式家屋そのものだ。

 生苕室の正面には、有名な枯山水の庭がある。北東の隅にある蓬莱山から流れ落ちた滝が、本堂東の鶴島と北の亀島のわきを流れ、石橋、透渡殿の下をくぐって大河となる様子が、木と石によって表現されている。建物をぐるりと回って南の庭には、その大河が流れついた大海が、狩野元信の「四季花鳥図」や狩野之信の「四季耕作の図」と静かに対面している。片隅の沙羅双樹が、梵語のSALA(高遠の境)を表わして、ぽつんと立っているのが印象的だ。

 ところで、室町時代といえば、茶の湯や生け花など「型の文化」の代表格といえるものが誕生した時期でもあった。ここ大徳寺も、もともと茶道とのつながりがきわめて強い寺だった。

 この茶道に代表される「型の文化」は、教育を子孫に残そうとする国民性に呼応して、日本社会の発展に大きな役割を果してきた。

 柔道、剣道、茶道、生け花など。いずれも型から入り、型さえ覚えれば最低限の段位くらいは取れる仕組みになっている。

 このような「型の文化」は、のちに大衆教育と相まって、多くの中堅技術者を生みだした。スシ屋やソバ屋も一つの「型の文化」なら、外国の文化や技術やマニュアルを受け入れたあとの修得の早さ、たとえば近代工業発達のルーツがこのあたりにあると見ることもできるだろう。

日本の国際競争力のルーツ

 大徳寺から北大路通りを西に向い、木辻通りに入ると金閣寺、さらに衣笠山を過ぎると龍安寺が見える。

 幅30メートル、奥行き10メートルの小さな庭が、今なお観光客に「禅」の精神を示す寺・龍安寺に入ってみよう。

 比叡からの無数の白砂の中に、5、2、3、2、3と15個の石が配置された龍安寺の庭は、簡素さの極致を表現したものとして、古くから多くの人々に親しまれてきた。

 石の数である15という数字は、十五夜の満月にあるように、一つの完成の姿を表しているという。だが、この庭ではどこから見ても、そのすべてを数えることはできない。見えない石を心眼によって見抜くのが、禅の境地ということらしい。白砂の中の石は、白雲に浮ぶ山の頂や海に浮ぶ島々を表現したものといわれるが、最も代表的な解釈は「虎の母子が川を渡るさま」を表したというものである。

 3匹の子を連れた虎が川を渡ろうとするが、一度に連れて渡れるのは1匹だけ。さてどうするか―――――。矛盾を秘めた「公案」の世界は、妙心寺退蔵院の瓢鮎図(ひょうでんず)(瓢箪でなまずをどうやって捕まえるか)などにも共通するものだ。もっとも瓢鮎図には、義満の命によって、五山三十一人の禅僧が模範解答(?)をしてくれているのだが・・・・・・。

 龍安寺から、さらに西に向うと仁和寺。そして左手には吉田兼好が居を構えた双ケ丘(ならびがおか)が見える。竹のトンネルや「さざれ石」で有名な入亀山を越え、さらに右手に広沢池が広がると、すぐそこには南北朝の動乱の生き証人とでもいうべき大覚寺。さらに嵯峨野を南へ下れば後醍醐天皇ゆかりの天竜寺がある。

 大覚寺に隣接する大沢池は、かつての嵯峨院の旧苑池。池中に菊島、天神島を設け、岩島を配した池泉(ちせん)舟遊式庭園だった。一方の天竜寺の方丈庭園は、曹源池を中心に、嵐山、亀山、小倉山、愛宕山を借景にとり入れた池泉回遊式のもの。正面三段の滝組は、登竜門の故事になぞられた竜門の滝を表している。

 これらと、いわゆる枯山水の庭とを比較してみると面白いことに気づく。もともと枯山水の庭は、禅宗と宋や元の山水画の影響を強く受けてきた。だがその最も大きな特徴は、水を引けない場所やわずかな空間にでも、深山幽谷の風景や禅の精神を表現できることだった。池を中心に広大な敷地を庭園としていた当時では、おそらく一つの革命的な手法だったに違いない。

 このあたりの変遷には、大仏に代表される奈良時代と城郭に象徴される桃山時代の中間で何世紀にもわたり「小型化」した日本文化の、一つの完成の姿を見ることができる。さらには内部や細部に力を入れる日本文化の、一つの形成の姿と解することもできる。

 小型で緻密で、一種精神的な日本という国の技術。国際競争力のルーツが、意外とこのあたりにも見つかりそうである。

大徳寺・大仙院
  • 大徳寺・大仙院方丈南庭
  • 大徳寺・龍源院阿吽の石庭
  • 大徳寺・大仙院書院庭園蓬莱山
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  • 天龍寺・池泉回遊式庭園
  • 天龍寺・池泉回遊式庭園
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