歴史街道倶楽部 メンバーズフォーラム

鉄道廃線跡フォーラム

明治5年(1872)、東京新橋~横浜間の開業以来、日本の近代化を支えながら発達していった鉄道路線網。その役目を終えた廃線跡を歩きながら、歴史を振り返り、語り合うフォーラムです。

主宰者
会員No.502 神谷 潔(京都府京都市)

活動報告

鉄道廃線跡フォーラム 実施報告

実施日:2019年5月26日(日)

「別府鉄道土山線・野口線跡を歩く」
5月26日昼過ぎ、JR山陽本線土山駅 八名が集合。「旧別府鉄道キハ2号を守る会」の原さんの案内で、1984年に廃止された別府鉄道跡を歩きました。この鉄道は地元企業の「多木化学」が自社製品の輸送を目的に敷設した鉄道で、廃線跡は緑道・一般道に整備されています。住宅地内の緑道となった土山線跡を進むと、大中遺跡公園に入ります。園内の播磨町郷土資料館横には機関車と客車が保存されていて、自由に車内に入ることができます。公園を出ると加古川市域に。ここからは一般道の歩道を歩きます。途中の川崎重工工場内にレールの痕跡、中野駅前の畑に黒い貨車がポツンと一両と、そのたびに原さんより現役時代の写真を手に解説していただき、当時をしのぶことができました。
 新幹線と山陽電車の高架を潜ると別府港駅跡に。大型店舗の広大な駐車場になってしまった駅跡に面影はなく、早々にUターン。次に「松風 こみち」となった野口線跡に向かいます。途中、気動車が保存されている円長寺公園で「キハ2号を守る会」の皆さんの歓迎を受け、修理中のキハ2号を見学することができました。約 三十年、風雨にさらされてきた車両の傷みは激しく、修理作業の大変さを実感しました。 最後はJR加古川駅前で「反省会」。原さんを囲んで楽しく懇談しました。

投稿者 会員No.502 神谷潔(京都府京都市)

鉄道廃線跡フォーラム 実施報告

実施日:2018年4月21日(土)

再開第7回「京都・伏見の廃線跡を訪ねる」の報告です。4月21日の昼下がり、京阪本線中書島駅に14人が集合。まず駅西方の伏見港公園へ。途中、現役の工場として健在の煉瓦造元変電所を見てから、かつて三十石船でにぎわった昔を伏見港跡でしのびました。駅へ戻り、ここから京都駅前までを結ぶ京都市電伏見線が走っていた竹田街道を北へ。店前に「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」の碑が立つ伏見駿河屋さんでは、お話を聞くことができました。
 一方通行の道路となった廃線跡はこれといった痕跡はなく、「近くに薩摩島津伏見屋敷跡の碑が…」との声に急遽「運河フォーラム」に名称変更のうえ、濠川沿いに歩き、近鉄京都線の鉄橋下に眠る煉瓦造の橋台を背景に記念写真を撮りました。
 京都市内初の鉄道高架である近鉄沿いに進んで京阪丹波橋駅へ。駅の南北に残る近鉄と京阪の相互乗り入れ時代の線路跡をたどり、近鉄桃山御陵前駅で解散しました。
 土曜日の午後だと気楽にご参加いただけそうなので、次回予定の大阪・神戸の貨物線跡もそうしたいと考えています。

投稿者 会員No.502 神谷潔(京都府京都市)

鉄道廃線跡フォーラム 実施報告

実施日:2017年5月27日(土)

「国鉄高砂線跡を歩く」。5月27日、兵庫県高砂市の山陽電鉄高砂駅に四名が集合。駅前ビル裏の駐輪場が国鉄高砂線跡である。ここから元線路だった遊歩道が南西方へ続く。カーブを曲がったところが高砂北口駅跡。腕木式信号機が残されている。ここから北西方へ別の遊歩道が。国鉄高砂工場への引込線跡だ。関西の気動車と客車は皆ここへ定期的に「入院」し、ピカピカになって帰ってきたものだ。
 さらに南へ。十輪寺横の高砂駅跡を過ぎ、工場街の一角にある高砂港跡の説明板に見入る私たちに、自転車の老人が「戦争中、港の船が攻撃に遭った。工場の敷地には砂糖が山積みに…」と話してくれる。
 出発地の高砂駅跡に戻って昼食後、さらに東へ。加古川西岸に出る。すでに鉄橋が撤去されている。山陽電車の鉄橋を渡る音を聞きながら、下流の橋へ迂回して東岸へ。山陽の線路に沿って歩き、やがて尾上駅跡を過ぎると、左へカーブして山陽の下をくぐり北上、鶴林寺近くからは広い道路となる。やがて高架化によってすっかり変わってしまったJR加古川駅に無事到着しました。
 次回の行先は、私の住む京都市の伏見を考えています。

投稿者 会員No.502 神谷潔(京都府京都市)

鉄道廃線跡フォーラム 実施報告

実施日:2017年3月11日(土)

再開第5回「伊賀鉄道 伊賀神戸 西名張を歩く」。3月11日に三重県伊賀市、近鉄伊賀神戸に五名が集合。こことJR伊賀上野とを結ぶ「忍者電車」で知られる伊賀鉄道(旧近鉄伊賀線)の廃止区間、伊賀神戸~西名張間を歩きました。
 近鉄大阪線の築堤をくぐると、丘に挟まれた田のなかを、緩やかにカーブを描く廃線跡の畦道が続きます。遠くに耕運機の音を聞きながら、「これが廃線跡ウォークの醍醐味!」などと浮かれていると、突然道は90度右に。前方はジャングルの様相。廃線後半世紀も経ると、ここまで変貌するものか……。仕方なく並行する道に移り、しばらく行くと道端に立派な常夜燈が。どうやらこの道が初瀬街道のよう。廃線跡の築堤をくぐるトンネルを抜けると上に登る道があり、再び廃線跡に戻ることができました。しかし、峠と思われる地点まで進むと前方を獣避けのフェンスに阻まれ、やむなく斜面を這い上がって大迂回。その先は耕地整備ですっかり線路の痕跡は失われていて、初瀬街道に出て美旗に直行しました。桔梗が丘までは電車で移動し、駅前で昼食後、元気を出して西名張まで歩きました。
 次回は再び西へ。加古川から高砂へ。

投稿者 会員No.502 神谷潔(京都府京都市)

鉄道廃線跡フォーラム 実施報告

実施日:2016年3月19日(土)

再開第四回「三木鉄道跡・金物のまち三木散歩」。三月十九日、早朝の雨も止み、兵庫県加古川市JR加古川線厄神駅に五名が集合。八年前までこの駅から分かれていた三木鉄道(旧国鉄三木線)跡6.6キロを歩きました。
駅からレール・枕木が撤去されながらも勾配標まどの標識類が残る砂利道を「歩きづらいな」といいつつ1.5キロ、丘の切り通しを抜け、視界が開かれると三木市域に。ここからは土を固めた遊歩道に整備され、楽しく歩くことができました。
石野駅跡はレール、プラットホームもそのままの姿で現役時代を偲ぶことができ、川を渡る鉄橋もレールがないだけで残り、今後どのように整備されるか、楽しみです。
別所駅跡も残り、駅舎は工事中で廃線跡ウォークの休憩所にリニューアルされるとのことでした。終点の三木駅跡は三木鉄道記念公園として地域の交流施設になっていました。
元駅舎内の資料室を見学してから旧小川家別邸に立ち寄り、雛壇が飾られた座敷でコーヒーを味わいながら、広い庭を観賞して解散しました。駅間はレールを撤去して遊歩道に変えても、駅部分は残して生かしていくという「三木方式」は今後の廃線跡活用のモデルケースになるように思いました。

投稿者 会員No.502 神谷潔(京都府京都市)