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歴史のまちウォーク

歩いてたどる歴史街道の旅~京街道シリーズ~

第6弾 山科地蔵・追分から大津宿へ <追加設定>

山科地蔵

逢坂の関跡

ご好評いただいている「歩いてたどる歴史街道の旅~京街道シリーズ~」。第6弾は、京の都へ入る東海道の「山科」から、伏見宿へ向かう奈良街道の分岐点「追分」を通り、山城国と近江国の関所になっていた「逢坂の関跡」の峠を越えて53番目の大津宿まで歩きます。
途中、京の六地蔵のひとつ山科地蔵、歌川広重の浮世絵「大津 走井茶店」に描かれた走井、逢坂の関跡、旧東海道線逢坂山隧道、大津宿本陣跡などを巡り、JR大津駅までの約6キロをゆっくりと歩きます。お楽しみの昼食は、“日本一のうなぎ”逢坂山かねよにて、きんし丼をお召しあがりいただきます。

<行程中のおもな見どころ>
【山科地蔵】 
平安時代に小野篁が1本の桜の木から六体の地蔵尊を刻みました。その後、後白河天皇の時代、都に疫病が流行した際、天皇の勅命で平清盛が都の出入り口六ヶ所に六体の地蔵を祀り都の守護を願いました。東海道・東山道の街道口に祀られたのが山科地蔵です。
【逢坂の関跡】
平安時代以前に山城国と近江国の国境にあった関所で、百人一首にも詠われました。「伊勢の鈴鹿関」、美濃の「不破関」と並んで三関と称されましたが、平安後期から徐々に形骸化し、はっきりした関の位置は明らかではありません。
【関蝉丸神社下社】
蝉丸神社は、上社と下社があり、創始は平安時代嵯峨天皇の弘仁3年(822)と伝えられます。旅人の守護神である猿田彦命を上社に、豊玉姫命を下社にお祀りしたのが始まりで、逢坂の関の守護神として崇拝され、その後、琵琶法師蝉丸の霊を合祀し関蝉丸神社と呼ばれています。下社は、参道を京阪京津線が通る全国でも珍しい神社です。

募集内容

実施日
11月2日(土)雨天決行
集合場所
JR琵琶湖線山科駅・京阪電車京阪山科駅前 
受付・集合
10時30分
募集人数
40名(先着順/最少催行人数20名)
参加費用
お一人様 歴史街道倶楽部会員4,800円(税込)/一般5,500円(税込) 
含まれるもの  説明員費用、ガイディングレシーバー、昼食代、旅行傷害保険等
含まれないもの 集合場所までの往復交通費、その他行程中の個人的費用
主催
歴史街道推進協議会

行程

10:30山科駅・・・山科地蔵・・・追分・・・大谷月心寺・・・逢坂山かねよ(昼食)
・・・ 逢坂の関跡・・・旧東海道線逢坂山隧道跡・・・関蝉丸神社下社・・・
大津宿本陣跡・・・京町1丁目札の辻・・・JR大津駅前14:10分頃解散
                         <歩行距離約6km>
※歴史街道倶楽部専属ガイドによる案内で歩きます。
※諸事情により一部変更になることがあります。

申込方法

ハガキまたはFAX、メールに会員番号、氏名、電話番号を明記の上、
歴史街道倶楽部 「京街道⑥」係
までお申込みください。

※一般の方は、住所もご記入ください。

住 所: 〒530-0005 大阪市北区中之島2-2-2 大阪中之島ビル7階
FAX: 06-6223-7234

メール: club-info@rekishikaido.gr.jp

申込締切日

2019年10月18日 (金)

レポート

実施日:11月2日(土)雨天決行

参加人数:48名

山科地蔵を専属ガイドの織田良一さんが案内

追分に向かってウォーク

 当日は秋の青空が雲一つなく光り輝いていました。講師の先生による丁寧なガイドをイヤホン越しに心地よく聞きながらいざ出発。私にとっては街道シリーズ初参加。ワクワクしながらお供させていただきました。まずは京の六地蔵の一つ、山科地藏。昔から東海道の守護神。昔の人は、街道の入り口から悪人、疫病などが入り込んでくるのが怖かったのですね。街道には車石が残り、荷車を楽に通したいという昔の人の知恵に感じ入り、また、不要になった車石を地元で再利用している様子にはクスッと笑ってしまいます。
 追分、月心寺と進むと「大津そろばん発祥の地」に出くわしました。秀吉の播州三木攻略ののち、恐れをなした領民が逃れたことは、三木城跡が私の住まいから近いことから何度か訪れて聞き知ってはいましたが、この大津まで逃れ、さらにここで算盤制作を身に着け、三木周辺の小野に戻っても作り続けて今に至るとはびっくり。
 蝉丸の琵琶の逸話に想いを巡らせつつ蝉丸神社を過ぎ、逢坂の関を超えて旧東海道線逢坂山地区隧道東口へ。ノミ、ツルハシで手掘りした明治時代の遺構とか。必死で取り組んだ先達の頑張りに感激しました。

歴史街道倶楽部会員誌『歴史の旅人』より転載