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イベント

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ひたすらに、ひたすらに 山背古道をウォークしませんか

募集内容

実施日
2008年4月25日(金)

行程

JR山城青谷駅前===青谷橋===谷川ホタル公園===(昼食)山背古道についてのお話(山背古道探検隊隊長 中津川敬朗氏)===椿坂・・・蟹満寺:国宝銅造釈迦如来坐像特別拝観===JR棚倉駅

レポート

実施日:2008年4月25日(金)

参加人数:70名

昭和40年代の後半、学生時代には万葉集が好きだったので、よく山の辺の道を歩きに奈良へ出かけた。今は道標も整備され、万葉歌碑も多く見られるが、そのころはまだそれらも少なかった。「歴史街道」とか「古道」という言い方はしなかった。日本で一番古い官道という認識だった。万葉歌人が歩き、和歌を作ったという場所へ行き、「歩く」という追体験を通して、万葉集がだんだん面白くなった。
その後、十年ぐらい前からハイキングを始め、今度は和歌山へ通い、熊野古道を歩いた。中世の上皇や貴族が熊野三山へお参りした巡礼道である。語り部の人から歴史の説明を聞いたり、原生林の自然観察をしたりして楽しかった。古道を歩くことは、自然を満喫でき、生きた歴史の勉強になるものだと思った。「癒し」の効果があるのも後でわかった。
今回山背古道を歩いてみようと思ったのもそんな気持ちからだ。以前に一度木津から城陽までの25キロを歩いたことがあるが、ひたすら歩くということでどんな風景だったか印象に残っていない。ゆっくりと歩きたかった。
昼食後、中津川先生からお話を聞き、古代の中央官僚が北陸や山陰などの地方へ赴任する際の行き帰りの道として通ったことがわかった。そう考えれば、山の辺の道と同じくらい古い訳だ。先日『競(はでくらべ)伊勢物語』という文楽を見ましたが、「玉水渕の段」では登場人物が井手町のこのあたりを往来していた。現在ではアスファルト道がほとんどで、風景がすっかり変わっているだろうが、昔の人はよく歩いたものだと思う。また、当日は天候にも恵まれ、竹林も多く見られた。道路際まで筍が成長しているのに驚いた。もうすぐ初夏だ。古道歩きは楽しいものだと実感した。

歴史街道倶楽部会員誌「歴史の旅人」より転載