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イベント

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絵解きに学ぶ三木合戦

羽柴秀吉と別所長治の戦い

募集内容

実施日
2007年6月9日(土)

行程

JR新大阪駅前(貸切バス)===三木市文化会館・「三木合戦絵解き」講師:三木市立三木東中学校教諭 生田淳仁氏=昼食…道の駅みき===恵比須駅付近・・・(湯の山街道)・・・三木城址・・・旧玉置家住宅・・・三木鉄道三木駅~(鉄道)~厄神駅===JR新大阪駅前

レポート

実施日:2007年6月9日(土)

参加人数:117名

この日、天上はとてもわがままで日と雨を交互に振り撒いていた。三木市文化会館で三幅の合戦絵図を拝見した。城主一族の苦悩、壮絶、無念に対し、町を挙げてその遺徳を讃えていた。語り部の声は朗々と惜しみなく語り尽くされた。
城址には辞世の歌が、格好の石に刻まれていた。その悲痛さに一瞬立ちすくむ思いのなか、ところどころ文字をなぞり、ささやかながら私の気持ちを手向けた。折からの風は緑蔭を抜けつつ万遍なく町へおりて行った。
城址へ続く湯の山街道は、一度来たことがあるような錯覚のなかをひたすら歩いた。街道筋の歴史もさることながら、やがての雨を兆す暗い雲と酒蔵の古い塀とは、とても相性よく一つの景をなしていた。道の駅には隣接して特産の金物を展示、包丁の棚には左利き用があった。つまり器用な人のための棚だと思った。
世が世ならば、こうずかずかは入れない旧玉置家。勝海舟の書の言葉の重みはいうまでもなく、筆の運びの勢いにはうっとりとさせられた。家業は現代でいえば銀行のようだったとか。その「謂れ」を残して由緒、風雅を誇張せず受け入れてくれた。庭には雑草が生い茂り「一本ずつ草を引いて帰ってください」の立札の原因となっていた。人知れず人手をほしがる庭の、ここには普段着的な素顔があったが、情緒に溺れておれぬ維持というものへの現実があったのだ。
先日、養生中の友にたどたどしく三木市を語ったら、「ああ、あの別所と秀吉の」と話がはずみ、上機嫌。よきお土産となった。「やっぱり行かなあかん」。そして一つの悔いは地酒を買いそびれたことであった。
行っただけ帰る万の歩草いきれ  都女

歴史街道倶楽部会員誌「歴史の旅人」より転載