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イベント

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伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ

興味津々の歴史のまち津を訪ねる

募集内容

実施日
2007年3月13日(火)

行程

JR新大阪駅前(貸切バス)===専修寺・・・一身田寺内町===昼食・・・津城跡===結城神社・・・(伊勢街道)・・・真教寺(閻魔堂)・・・阿漕塚===寒松院(車窓)===JR新大阪駅前

レポート

実施日:2007年3月13日(火)

参加人数:127名

最初に訪れた専修寺では、まず如来堂に全員が入り、若い僧侶から、親鸞上人の歯骨の1本が昭和39年に寺内で錦の袋に入った状態で発見されたことや、 栃木県の高田(二宮町)の専修寺が焼失後、この地に移転した経緯などを聞く。重要文化財の御影堂は725畳敷という大御堂で、現在は大改修中である。僧 の案内で寺内を見学。庭園「雲幽園」は、一般には茶室の名を取って「安楽庵の庭」と呼ばれている。藤堂高虎公の長女が十五世住持の夫人となった際、持参 として伏見から移築したのがこの庵である。宝物館では、親鸞真筆の掛軸を見る。書き出しが上手ではないのが本物だとか。山門と唐門を見て、どちらも格調の高さを実感する。
ボランティアガイドに案内をバトンタッチし、寺内町を歩く。寺内町にはかつて三つの門があり、その一つ黒門が町なかの保育園横に移築されている。その 前を通って一御田神社へと向かう。この一御田が一身田の語源でもあるという。南入口はかつて黒門があったところ。辻に道標が立ち、「江戸みち」とある。 その道路沿いには古い旅館の建物が残っている。完全な形で残っている環濠を見て、「一身田寺内町の館」に立ち寄り、バスに戻る。
市内の鰻の老舗で昼食後、徒歩にて津城跡に。高虎公の銅像前から班に分かれて行動する。現在は公園化された津城跡であるが、築城時には、近江の石工、 穴太衆を使って20余の新築・改修が進められた。城跡には、天守閣があった台地や櫓など一部が復元されている。
バスで移動し、結城神社に着く。建武の新政樹立に貢献した結城宗広をまつる。梅園の枝垂れ梅が満開であった。ボランティアガイドを先頭に伊勢街道を歩 く。町家の造りなどに旧街道の面影が残る。途中、真教寺に立ち寄り、間近で閻魔王坐像を拝むことができた。私は円空作の十一面観世音立像に心が引かれ、 梅原猛氏の著作『歓喜する円空』が頭をよぎった。さらに徒歩で阿漕塚へ。母の病を治そうと禁猟区である伊勢神宮の御贄場、阿漕浦で密漁して処刑された孝 行息子を慰霊する塚である。傍らに芭蕉の句碑が立ち、塚を引き立てている。バスでの帰路、車窓から寒松院を見る。歴代津藩主の墓碑が久居藩の墓石と一緒にここにある。

歴史街道倶楽部会員誌「歴史の旅人」より転載