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イベント

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忠臣蔵のふるさと 赤穂

募集内容

実施日
2006年11月25日(土)

行程

赤穂市民会館・講演会「忠臣蔵雑話5題」小野真一氏(赤穂市教育委員会市史編纂担当係長)・・・昼食・・・息継ぎ井戸・・・花岳寺・・・赤穂城跡・・・大石神社・・・大石邸長屋門・・・歴史博物館・・・JR播州赤穂駅

レポート

実施日:2006年11月25日(土)

参加人数:74名

単なる旅行好きの集まりではなく、歴史の街々を訪ね歩くという歴史街道倶楽部の趣旨に賛同し、参加させていただきました。赤穂といえば忠臣蔵、赤穂浪士と、子供のころから何十回となく芝居や映画、またテレビなどで、見たり聞いたりしてきました。勧善懲悪、喧嘩両成敗の当時の思想を背景に語り継がれてきた忠臣蔵の地を、一度は訪ねてみたいと思っていたので、今回の企画は是が非でも参加したいと、渋る妻を説得して同行してもらいました。講演会では、いろいろと当時の話を聞かせていただきましたが、ことに討ち取られたあと、槍の穂先に吊るされて泉岳寺まで運ばれた吉良の首が、後日、吉良邸に届けられ、胴体に縫合されたことが、担当した外科医師の記述として紹介された話など、興味深く聞かせていただきました。
昼食後、史跡巡りになりましたが、赤穂城そのものは、明治18年ごろに隅櫓や城壁が取り壊されて荒廃し、昭和30年に大手門、大手隅櫓、城壁の一部が復元されたもので、往時を偲ぶにはいささか物足りない感がしました。ただ、城壁については敵がどこから侵入してきても窓から見つけられる角度に設計されていると聴き、感心しました。浅野家3万5千石を、わずか3代で終わらせてしまった浅野長矩の行為も、その後の大石内蔵助をはじめとする47名の義士たちの討ち入りが成就していなければ、単に田舎大名の暴挙として忘れ去られ、300余年を経過した今日まで語り継がれることはなかっただろうなどと考えながら、夕暮れの迫る播州路をあとにしました。ご一緒いただいた皆様方に、深く感謝申し上げます。

歴史街道倶楽部会員誌「歴史の旅人」より転載