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イベント

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名庭を訪ねて伊勢本街道へ

美杉の北畠氏館跡庭園と宿場町

募集内容

実施日
2006年10月15日(日)

行程

JR新大阪駅前(貸切バス)===道の駅「美杉」===北畠神社・北畠氏館跡庭園・・・(昼食)・・・美杉ふるさと資料館・・・伊勢本街道散策・・・道の駅 「美杉」===曽爾高原=JR新大阪駅前

レポート

実施日:2006年10月15日(日)

参加人数:41名

美杉-その名の通り杉の木立が美しい。しかし現代の喧騒から置いて行かれたかのような山村(今では津市となっているが)に約500年前の庭園が残っていた。南朝の正当性を主張した北畠親房の三男顕能が伊勢国司になった興国3年(1342)、ここに霧山城を築き、居館「多気御所」を設けた。館は朽ちても往古を偲ばせる850坪の庭園が残る。枯山水と池泉の武家書院庭園で、珍しい米字形の池、樹齢400年の木々そして石組が、寺院庭園とは趣の違うところを見せる、と北畠神社の宮司さんよりわかりやすく丁寧に説明していただいた。それにしても野性的な感じがした名庭であった。なお、国指定の名勝のこの庭園は越前一乗谷朝倉氏庭園、近江朽木谷旧秀隣寺(現在は興聖寺)庭園と並び「中世の三大庭園」と呼ばれている。かねてから訪れてみたかったのだが、なにせ交通の便の悪いところ、今回の倶楽部のバスツアーでやっと念願がかなえられた。
午後は現地ガイド氏の案内で伊勢本街道を歩く。大和と伊勢神宮を最短距離で結ぶこの街道は飛鳥時代には開かれていたというが、鈴鹿越えの伊勢北街道ができて一時衰える。北畠氏の城下町時代は盛況を極めたものの、難所の坂道も多く険しい道で旅人に恐れられたという。道端にわずかに残る道標・供養碑・常夜灯、そして今もなお営業を続ける旅籠の姿は遠い日の栄華の残照であろう。街道沿いの店で昔ながらの手作り羊羹を買い、暫時往時の旅人になる。なお、この道は文化庁の「歴史の道百選」に選ばれている。
短い秋の陽が暮れなずもうとするころ、最後の訪問地、曽爾高原に寄る。ススキは見ごろには少し早かったが、それでも見事な秋色を見せてくれた。爽やかな風が銀色の穂をなびかせ、なだらかな高原の姿が街道散策の疲れを癒してくれた。豊かな自然、その中で人々が営々と重ねてきた「歴史の年輪」を味わわせてくれた一日だった。

歴史街道倶楽部会員誌「歴史の旅人」より転載