全国街道交流会議 若狭路大会

伴とし子(古代丹波歴史研究所)

1 はじめに

 みなさん こんにちは。伴 とし子です。
 本日は、全国街道交流会議第10回全国大会「若狭道大会」ということで、この日本海沿岸から近江まで、広域がテーマエリアとなっていますが、私がかねてより、展開して参りました大丹波王国論(=丹後王国論)は、今回の北近畿連携のエリアと重なるもので、お呼びいただき光栄に感じております。
 本日は、「日本のふるさと大丹波王国(=丹後王国)」につきお話ししたいと思います。
 いうまでもなく、古代日本の表玄関は日本海沿岸です。
 古代丹波は丹後丹波但馬ですが、この若狭もまた近江も古代海部族のエリアであることを、私の研究してきた国宝「海部氏系図」等からも証明したいと思います。

2 伝説の宝庫

 この地域はまず伝説の宝庫です。
 丹後には、『丹後国風土記』があり、現在は逸文が残っているだけですが、「天橋立」、「浦嶋子(うらのしまこ)」(浦島伝説)、「奈具社(なぐのやしろ)」(天女伝説)があります。近江にも、天女伝説があります。浦嶋伝説と羽衣伝説は、日本各地はもとより世界各地にありますが、そうした中でも文献学的に最古とされるのがこの地の伝説です。丹後はいわば浦嶋伝説、羽衣伝説の発祥の地と言えます。
 丹後にはほかにも不老不死の仙薬求め渡り来た徐福(じょふく)の伝説(伊根町)や鬼伝説、また、伊勢の元であるという元伊勢伝承などが残されています。
 今日も、朝から空印寺に参ってきましたが、若狭には八百比丘尼(やおびくに)の伝承が残ります。
 そして「天橋立」はイザナギが天地を通う梯子が倒れ、それになったというもので、神々が天地をはじめて行き来したという交通神話の残るところです。

3 天孫降臨の地

 『古事記』の神話で、天孫といえばニニギノミコトですが、丹後にはホアカリノミコトがいます。
 このホアカリノミコトを祖神として祀るのが丹後一宮籠(この)神社で、そこの系図には祖神として、「彦火明命」とあります。
 そのホアカリノミコトの降臨地が冠島であるという伝承があり、籠神社に祀られています。

4 『古事記』『日本書紀』

 古代タニハの国のことが、『古事記』『日本書紀』に皇室の外戚としてでてきます。
 開化天皇の妃になったのが、大縣主由碁理の娘の竹野姫。
 垂仁天皇の皇后になったのが、ひばす姫、その姉妹たちは妃となりました。
 ひばす姫の生んだ子は次の景行天皇となり、皇室の系譜に深くかかわりが古代からあるのです。
 天皇のお母さんにあたる方がこの大丹波王国のお姫様になる訳でして、ここは天皇のふるさとということになる訳です。

5 考古学

 しかし、何よりも説得力のあるのが、考古学、遺跡からの出土物です。
 縄文の昔からこの地域は生き生きとした暮らしと、海人族による航行で豊かな暮らしをしてきました。それを証明するのが、舞鶴湾の入り江の浦入(うらにゅう)遺跡(舞鶴市)がから出土した丸木舟です。約5300年前のものです。この丸木舟は、特別大きく、漁労だけでなく、外洋航行に使用したと推測され、外洋航海用としては我が国でも最古級と考えられています。
 さらに注目すべきは丹後の弥生の輝きです。
 与謝野町の大風呂南一号墓からは、この素晴らしい完形のガラス釧(腕輪)が出土しています。ガラス釧はこの時代のガラス製品として最大級で、外径九.七センチ、断面が五角形で日本で1点だけの貴重なものです。高度な技術との交流があったことを示しています。
 横のポッキーチョコレートのようなものは鉄剣です。11本も出てきました。以外に13個の銅釧などが出土しています。鉄の出土は全部合わせれば九州の方が多いんですが、1つのお墓の中から11本もの鉄剣が出てきたのは丹波のクニだけです。
 これらのことは丹後と北部九州とのつながりを示すとともに、ここに強大な武力があったこと、当時、列島のなかで、強力な王が存在していたことを示しています。

6 弥生の繁栄

 また、京丹後市峰山町には赤坂今井墳丘墓というのがあります。これも200年頃、卑弥呼の時代です。
 そこからは管玉勾玉でできた弥生の冠が出土しています。
 素晴らしい冠をかぶった方が眠られていたんですね。
 弥生時代、丹後は輝くガラスと鉄の国であり、日本海側の極めて有力な国だったのです。実はもう1か所、まだ発掘されていない大きな墓があります。さて、その中には何が眠っているんでしょうか?
 考古学からは、丹後地域の古代貿易立国としての実力、先進性、国際性が浮かび上がります。
 卑弥呼がいた弥生後期の繁栄があり、古墳時代をむかえると丹後半島には日本海沿岸巨大三大古墳が築かれています。200m級の古墳がなぜこんな所にあるのかと思われるかもしれませんが、先ほどご説明したように5300年も前からこの地域には大陸とのつながりがあり、縄文時代の繁栄があって弥生時代、そして古墳時代の繁栄へと繋がっている訳です。

7 国宝『海部氏系図』

 さて、こうした考古学が証明する繁栄をさらに裏付けてくれるものがあります。
 それが、国宝『海部氏系図』です。
 丹後一の宮籠(この)神社があり、ここに、日本最古の系図とされる『海部氏系図』があります。籠神社には約千二百年余の間、「他見許さず」と、秘して守られてきた竪(たて)系図。昭和五十一年国宝に指定されたもので、日本最古の系図。系図で国宝になっているのはこれだけです。
 こちらが平安初期に書かれた『海部氏系図』、こちらが江戸後期に書写された『海部氏勘注系図』です。
 『海部氏勘注系図』は、江戸時代はじめに書写されたものですが、古事記や日本書紀に書いてない重要な「古記」や「秘記」が書かれており、大変重要な情報を得ることができます。

8 系図の特徴

 この『海部氏系図』の特色を簡単に述べますと、まず第1に、国宝『海部氏系図』は、各人名の上方部には、「丹後国印」の朱色の四角い印がひとつずつ押されていることです。
 第二に、筆写された年代が特定できることです。巻頭に「籠名神社祝部氏系図」とあり、中央に「丹後国与謝郡従四位下籠名神従元于今所斎奉祝部奉仕海部直等之氏」と表記されており、籠名神が従四位下となった貞観十三年(八七一年)六月から従四位下に叙せられた元慶元年(八七七年)十二月の間に書かれたといえます。
 第三に、この系図が直系のみを記した、父子相続の古態を表していることです。

9 ヤマトに入った倭宿祢命(ヤマトスクネノミコト)

 これからは系図の中から何を学ぶかという事が重要になってくると思います。
 『海部氏系図』には三世孫倭宿祢命として登場し、『海部氏勘注系図』には三世孫倭宿祢命が「この命、大和の国に遷座の時、白雲別神の女(むすめ)豊水富命を娶り、笠水彦命を生む」とあり、丹波からヤマトに入ったということがはっきりと書かれています。
 かつて大丹波王国、丹後王国とも言われた場所は、古代ヤマトに土器しかない時代においてすら、海人族を中心にきらびやかな文化を培ってきた地域であり、ヤマトの基礎を築いたのはこの大丹波王国なのです。

10 卑弥呼のいた系図

 さて、『海部氏勘注系図』に、「九世孫、日女命」と「十一世孫、日女命」という二つの「日女命」があります。
 九世孫の妹の「日女命」は、「日神」とあり、これが卑弥呼、十一世孫の妹「日女命」がトヨにあたると考察しています。

11 強力な水軍

 そして、18世孫の建振熊宿禰では、丹後海部氏の祖建振熊宿祢(たけふるくまのすくね)が、「若狭の木津庄で海部直の姓を賜り、国造として仕え奉る」との記述があり、また、『海部氏勘注系図』にも、建振熊宿祢が、丹波、但馬、若狭の海人(あま)三百人を率いて、水主(かこ)として奉仕したと記されています。
 日本海沿岸は丹後海部氏の勢力範囲と考えられ、また彼らが水軍の長であったことがわかります。
 時間がないので早口になってしまいましたが、ともかくこの北近畿連携のエリア、かつて大丹波王国、丹後王国とも言われた場所は、古代ヤマトの基礎を築いた、海人族を中心にきらびやかな文化を培ってきた地域です。
 ここが日本のふるさとであることを私は自信を持って申し上げたいと思います。

12 まとめ

 大丹波王国が日本のふるさとといえる理由はなにか。
 その理由として、
  1 一番はじめに神々が天と地を交通した天橋立神話などが残る、伝説の地
  2 ニニギの兄、ホアカリの系譜がある、天孫降臨の地
  3 ヤマトに入った倭宿祢命 ヤマトの基礎を創った丹後海人族
  4 縄文から人々が生き生きと暮らし、弥生後期に繁栄したことを証明する遺跡の存在
  5 元伊勢伝承があること 豊受大神の地であること
  6 記紀の后妃伝承
 そして、私は卑弥呼は海人族であると考え、卑弥呼はこの海部氏系図の中にいる。少なくとも大丹波王国は邪馬台国の有力な港だったのではないか、と考えています。

おわりに

 日本を考える時、この日本海沿岸の丹後・丹波・但馬・若狭そして近江、これが古代海人族が雄飛した地域で、彼らはそこから大きく勢力を広げて発展して行きました。
 ゆえに、こここそが日本のふるさとなのです。
 古代日本をリードしてきたのがこの大丹波王国、また、北近畿連携であることをまずしっかりイメージしていただき、誇りをもってこれからの地域の発展を考えていく材料にしていただきたいと思います。
 お手元に系図をお配りしておりますのでご参照下さい。また、研究所で発行している冊子もお配りしておりますので、ご関心のある方は是非ご一読下さい。
 ご清聴ありがとうございました。

次の発言者へ
全国街道交流会議 若狭路大会の扉へ
北近畿・琵琶湖における「食と歴史の回廊」の形成