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中山道は、江戸時代の五街道のひとつ。古代の東山道をほぼ踏襲、修復したものです。慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で勝利を治めた徳川家康は天下統一を果たしました。天下統一とは、ひとつには全国の交通路を掌握すること。家康は、慶長6年、全国統治上の最重要幹線ともいうべき東海道に伝馬制度を定め、翌慶長7年には中山道にも伝馬制度を設けました。
今回は、日本橋を起点に京都三条まで続く中山道の宿場の中から、伊勢に向かう八風街道の起点であり、旧八幡町内に分岐する交通の要衝として栄えた宿場町武佐から、無賃橋がかかる・愛知川宿を訪ねました。
募集間もなく定員を超えたため、4月6日に加え、13日の2日間の設定で実施しました。
この企画は、中山道の各宿場で活動する団体のゆるやかなネットワークとして昨年発足した近江中山道連絡会議に参加されているNPO法人むさまちおこしの会、(一社)愛荘町愛知川観光協会のご協力をいただきました。
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4月6日、近江鉄道「武佐駅」に集合。近江八幡ボランティアガイドのご案内で2班にわかれて武佐宿を散策します。
スタートは、住友財閥を育てた伊庭貞剛邸跡から。ほぼ満開の桜の花が迎えてくれました。
もっとも盛んだったころは3000人近い旅人が往来した宿も今は静かな佇まいで、石碑や看板、道のゆるやかなカーブで往時を偲ぶことができます。
途中、現代の旅人に湯茶接待をするために土・日・祝、有志が交替で管理をされているおやすみ処綿屋で、むさまちおこしの会の方から温かいお茶とお菓子をいただきました。
本陣跡、牟佐神社、泡子地蔵などを解説していただきながら奥石神社到着。翌日に祭礼を控えた神社の境内には特徴ある松明や神輿を見ることができました。
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奥石神社から愛知川までは、昼食場所の竹平楼の迎えのバスで向かいます。
竹平楼は江戸時代から続く老舗の料理旅館です。
料理を堪能した後は、女将に館内を案内していただきました。この旅館には、明治11年、明治天皇が、民情視察のため北陸東山道をご巡幸された際に立ち寄られたところ。
その際に、新築された御在所は材料、意匠とも質の高い数奇屋風の書院造で、凝った意匠が見事でした。
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昼食の後は、愛荘町観光ボランティアガイドのご案内で、愛知川宿を散策。
途中、旧近江銀行を再整備し、中山道愛知川宿の歴史や商店街の移り変わりや沿革を紹介する新しい拠点・愛知川ふれあい本陣や創業1865年、中山道を通る旅人などに菓子を提供してきたしろ平老舗に立ち寄りました。
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ウォークの最後は、地元の酒蔵・藤居本家。
江戸時代より代々酒造りを家業としててきた藤居本家では、総けやき造りの酒蔵を見学、最後はお楽しみの試飲でしめくくりました。
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