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イベント

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みえ歴史街道フェスタ

歴史街道・おかげ列車の旅

募集内容

実施日
1998年11月3日(祝)

行程

上本町 電車=== 大和八木=== 松阪・・・ 市内観光・昼食 松阪城跡・本居宣長記念館・御城番屋敷・氏郷まつりと斎王夢行列見学ほか 地元語り部の案内で市内を散策・・・ 松阪=== 大和八木=== 上本町(解散)

レポート

実施日:1998年11月3日(祝)

参加人数:276名

松阪城は今から四百年あまり前の天正18年(1588)に、蒲生氏郷によって築かれた。現在は天守閣跡やのづら積みの石垣のみが残されている。11月3日は氏郷祭の日。祭を見るため、私は「歴史街道・おかげ列車の旅」に参加した。
青空に白雲が浮かぶ日の氏郷祭。今、金の兜をかぶった氏郷候が栗毛の馬に乗ってやってきた。服部一忠公の後に続いては、陣笠をかぶった従者の徒歩行列。紅葉を手にした少女たち。武者姿の少年。最後は日野筒鉄砲隊の足軽行列である。
十二単衣の女性で再現された斎王夢行列も、松阪の町を華やかに彩る。伊勢神宮の祭祀をつかさどった斎王は、かつて未婚の内親王か女王の中から占いで選ばれた。その行列は、葵祭を小さくした感じで、『源氏物語』など平安文化を今に復元したかのようだ。
祭の行列を見たあと、松阪城内にある本居宣長旧宅を訪ねた。本居宣長は『古事記伝』を著した国学者で、享保15年(1730)に商家の子として生まれた。実際に見る旧宅は、畳がすすけていたが「店の間」で医業を開き、夜は奥中の間で古典解釈や歌会をしたと、解説には書かれている。天明3年(1783)、宣長53歳の時、四畳半の茶室風書斎、鈴の屋を二階に新造し、国学研究の場とした。その名前の由来は、36個の小さな鈴を柱につるしたことにあり、宣長がストレスを感じた時に鳴らしたという。
松阪城の裏門から続く道に御城番と呼ばれる武家屋敷がある。文久3年(1863)に松阪城の警護を任された紀州藩士の住居で、天井の低い、田の字型の家が2列19軒並んでいる。今にも武士が出てきそうな、江戸時代の情緒が残る屋敷だ。
今回は松阪の町をかけ足で回ったが、今度来る時は、三井家発祥地など松阪商人の館にも足を延ばしたいと思いながら、帰路、大阪へと向かった。