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11 山の辺の道
文:鶴田純也(放送作家)
1995年11月号掲載
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山の辺の道――何というやさしい響きを持ったことばだろう。奈良盆地の東の山裾を縫うように通る道だから山に沿う道、とそのまんまに言ったわけだが、何の飾り気もなくすなおに表現してこんな美しいことばを生む力が昔の日本語にはあったのだ。道を呼ぶのに「首都高速」(シュトコー)だの「環状8号線」(カンパチ)だのと、あられもないことばを使っている現代人の感性がつくづく反省させられる。ふと口を突いて出たことばがそのまま詩になりうる、日本語にとって万葉の時代とはそういう幸せな時代であったのかもしれない。 |
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散策コースとしての山の辺の道は、天理市の石上神宮から桜井市の大神神社へ向かうか、その逆をたどるかが、一般的であるらしい。が、これを一日で歩くのはなかなかハードである。
ただひたすら歩くだけでも相当に時間がかかるが、なにしろ日本で最も古い道の一つである。行く先々に松林におおわれた古墳がある。格式ある神社の鳥居や由緒ある寺の山門が待ち構えている。この地方独特の環濠集落の白い土蔵が郷愁を誘う。そして『万葉集』とのゆかりが深く、井上靖氏の言を借りれば「万葉の歌で織りなされた道を歩いてゆくようなもの」である。多少とも歴史や文学に関心のある者ならスタスタと脇目もふらずに歩いて通れる道ではない。いや、たとえそんなものにまったく関心がなかったとしても、古代人の心を動かした風景が現代人の心を少しも動かさないはずはない。
そんなわけで、私のような、道端に揺れる名も無き花にも心を奪われ、立ち止まっては涙する情操ゆたかな人間は、一日どころか一月かかっても歩き通せるものではない。今回はこの辺りとポイントを決めて、四季折々に訪れるのがよいだろう。 |
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そこで、まず石上神宮に出かけることにする。石上神宮は布留社ともいう。布留はこの辺りの地名で、そこから石上はふるにかかる枕詞となった。大神神社とならぶわが国最古の神社と考えられ、背後の山そのものが神体である。
境内を悠然と神鶏が歩いている。神鶏は伊勢神宮や熱田神宮にもいるが、どこの神社にでもいるというものではない。鶏を飼っている神社には何か共通項があるのだろうか。また、境内には赤茶色の水をたたえた、静かな沼があり、独特の神秘的な雰囲気をただよわせている。
石上神宮は大和朝廷の軍事を司っていた物部氏の氏神で、その祭神のフツヌシは剣が神格化したものであるという。古来、数多くの武器が奉納され、国の武器庫としての役目を負っていたらしい。
神社の裏手の方にはロープをめぐらせた禁足地がある。古代の祭祀の場へとつづいているのだろうか、細い道がくさむらの中へ消えている。ふと見廻すと辺りには人影もなく、頭上におおいかぶさるように木が繁り合って陽をさえぎり、何となく無気味である。あたふたと元の境内にもどり、こんどは沼の前の道を歩き出す。これが山の辺の道への入口である。
10分も歩くと道が細くなって、いかにもそれらしい道の感じとなる。くねくねと曲がり、上がったり下がったりして、いかにも自然の地形に合わせてできた道である。道の両側には柿や栗の木があり、早や青々とした実をつけている。実りの秋も近いなどと思いながら、なおも行くが、途中まで随所にあった道しるべがない。どうやら、道に迷ったみたいなのだ。そういえば、知らぬ間に山の麓を離れてずっと畑の中を歩いている。
こんな調子で、今回は山の辺の道を一キロくらいしか歩くことができなかった。今度は秋も深まったころにまた来よう。色づいた柿の実につられてまた迷うだろうか。が、それもまたいい。 |
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