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19 近江八幡
文:鶴田純也(放送作家)
1996年7月号掲載
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近江八幡は琵琶湖の東岸、大津と彦根の中間に位置する。
琵琶湖の周辺にはいくつかの内湖があるが、近江八幡と安土町にまたがる西ノ湖もその一つ。水郷めぐりの船にはこれまでに何度か乗ったが、青々とした葭が風ににおう初夏がことに気持ちがいい。船頭さんは農家のアルバイトであろうか。どの人も日に焼けた顔に似合わず言葉づかいがやさしかった。これは近江の人に共通した特徴でもある。
近江八幡の町を歩くと白壁に黒い瓦屋根の、地味なたたずまいではあるが、広い敷地に土蔵があり庭の手入れの行き届いた家を多く見かける。今どき、こういう家を維持するのがいちばん大変なのではなかろうか。重要文化財に指定されている豪商の家にしても見かけはいたってつつましやかなものである。近江商人は京や江戸・大坂に大店を構えていたから華美な都会生活をよく見知っていたはずだが、あるじは故郷の本宅で静かで質素な暮らしに甘んじていたのだろう。昨今のバブルに踊った成金たちとは正反対である。町のありようもぜひこのようであって欲しいものだ。 |
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あちらこちら歴史街道をめぐりながらつくづく感じるのは、歴史的な遺産を拠りどころにした町おこしであるはずが、熱心さのあまり事を急いで遺産そのものやそれを取り囲む環境をすっかり変えて整備したつもりでいる人々の愚直さである。ものだけ残して雰囲気はだいなしといった例があまりにも多い。
歴史的な遺産は、まず変わらないことに意味がある。旧に復す工事をする場合でも現状を変えることにはちがいないのだから、よほど慎重に対処する必要があるだろう。放っておけば変わってしまうものをいかに変えないでおくかという努力が大切だ。変わらないことに金をかけるのは無駄なようで、一番実のあるぜいたくなことなのだ。
幸い、近江八幡は町の先祖が本当の金の使い方のお手本をさまざまに示してくれている。この町の神社・仏閣、古い学校などの立派さには目を瞠らされる。近江商人は出身地だけでなく、金を儲けさせてもらった土地にも寄与するところが大きかった。 |
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琵琶湖を往来する船の寄港地として近江八幡の繁栄のもととなった八幡堀の、水に柳の映る風景や、城跡のそばに今は村雲御所瑞竜寺の建つ八幡山からの眺望など、見どころは多い。しかし、それ以上に私はこの町の人々の暮らしの見える何気ない場所が好きだ。
たとえば古ぼけた木造の図書館。国学者であり歌人でもあった伴蒿蹊にゆかりの豪商・伴家の邸宅だった建物で、大きな机の、子供が参考書を開いているとなりでは、おばさんがクッキングブックの作り方をメモし、その向こうでは高校生が小説を読みふけり、そのまたとなりでは下駄ばきのおじいさんが紙面から思いきり目を離しながら新聞を読んでいるといった光景がいつでも見られる。床は少々ギシギシ鳴るけれども、白々としたビニタイルの床の今出来の図書館にはないアットホームなあたたかさがここにはある。こうして町の人に利用されつくした上でなら、消滅したって文化財としては本望だろう。
その近くの商店街のスーパーの大売り出しの看板には「三〇二年大創業祭」と書いてあった。文化財ではないが、これもまた堂々たる歴史である。
一八歳で近江の領主となり、城下町として近江八幡を開いたのは豊臣秀次である。長久手の合戦で大敗したあとだけに、彼は町造りに懸命に取り組んだのかも知れない。のちには殺生関白の悪評もあるが、この美しい町を残したことだけを見ても無能の人であったとは私には思われない。養父・秀吉に翻弄された一生の、あるいはいちばん輝いたときでもあったか。
古い商家の玄関の格子の間から中をのぞくと、薄暗い中に売りものの金の舞扇がキラリと光って見えたのが印象的だった。 |
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