|
|
|
28 彦根城
文:鶴田純也(放送作家)
1997年4月号掲載
|
 |
|
彦根といえば井伊直弼、というアタマがあるから駅前の広場に立つ、馬上の甲冑をまとった武士の像を見て「井伊直弼だ」と思う人は少なくないようだ。現に私が思ったと同時に、おばさんたちのグループが口々にそう言って、「たいしたもんだ」などとつぶやきながら去って行った。
しかしよく考えてみると、直弼の時代にはもうこんな甲冑を着用することはなかっただろう。したとしても、駅前の像にこのスタイルは選ぶまい。
実はこれは初代藩主井伊直政の像だった。直政は関ヶ原の合戦で大活躍し、石田三成の佐和山城を攻め落とした功によって、その城を授けられたのだという。けれども直政は合戦のときの怪我がもとで一年後に世を去り、跡をついだ直継が城を近くの彦根山に移した。これが現在の彦根城だ。
そういう解説を書き込んだ地図を駅の観光案内所で手に入れ、読みながら歩く。地図には今は使われていない古い町名も書いてある。油屋町、大工町、鍛冶屋町、鷹匠町……城下の暮らしが見えるようだ。忍者の住んでいた伊賀町、牢屋町なんてのもある。城が財産ならこれも町の財産だと思うが。
駅からの一本道を突き当たり、左に折れると、城の濠に沿う美しい松の並木が見えてきた。昔は四七本あって、いろは松というそうだ。 |
|
城オタクとでもいうのか、全国の城についてやたらと詳しい人がいる。今の時代には観光資源としてよりほかにあんまり役に立っているとも思えないが、そういう世の中に孤立しているような姿もまた、好きな人の心を揺さぶるのだろう。私は城にそれほど関心のある方ではないが、彦根城は名城だと思う。濠端から天守に近づくアプローチのどこに佇んでも大藩の城らしい落ち着いた趣がある。
病弱な直継に代わって家督を継いだ直孝がこれまた大坂・夏の陣などで活躍したので井伊家は三五万石を与えられて譜代の筆頭大名となった。彦根は京都の朝廷や西国の大名に睨みを利かせる上で、幕府にとっては重要な地点だったらしく、徳川家康の命によって多くの大名が動員され、城は二〇年の歳月をかけて完成したという。
国宝の天守閣への道はなかなかきつい。途中、顔をまったくのぞかせないので、頂上の見えない登山をしている気分。しかし、天秤櫓や太鼓門など見どころが多く、そのつど立ち止まっていると息の切れることはない。
ようやく姿を見せた天守閣は輝くばかりの美しさ。それもそのはず、長い修復を終えてことしの正月からようやく公開されるようになったのだ。牛蒡積みと呼ばれる荒々しい感じの石垣の上に、装いもあらたにいよいよ男前の上がった若武者のような城がのっかっている。最初に城が完成したときの表情もこんなだったのだろう。 |
|
しかし、一歩中に足を踏み入れると壁は白々としているものの豪快な木組みや板敷きの床は昔のまま。二一メートル、と七階建てのビル並の高さがあるのに石垣の上は三層だから、その階段の急なこと。最上階から見下ろす琵琶湖の眺めがその疲れを吹き飛ばしてくれるのだけれど。
天守を征服したら、下屋敷の楽々園や玄宮園に立ち寄りたい。広々とした庭園からは城山を登っているときには見えなかった天守が心憎いばかりの借景となって眺められる。周辺には桜の木が多く、花の盛りに訪れたらどんなにすばらしいかと想う。そういえば舟橋聖一の井伊直弼を描いた小説に「花の生涯」があった。直弼が陽の当たらぬ青春時代を過ごした埋木舎を見学しようと歩いていると、駅前であったおばさんの一団に出会った。
一足先に見学を終えたおばさんたちは三〇年以上も前に放送されたNHKの大河ドラマ「花の生涯」の場面や配役のことを、ゆうべ見たかのように喋っている。恐るべし大河ドラマ。恐るべし、おばさんの青春の記憶。 |
|
 |
|
|
|