スタッフのお勧めスポット:日本三大荒神社 (プラス 三荒神)  
日本三大荒神社 (プラス 三荒神)   by A.Kawabata
 関西には、俗に日本三大荒神と言われる荒神社があると聞いていました。
 私が聞いていたのは、1つ目が阪急宝塚線沿線の宝塚市にある清荒神@、2つ目が、近鉄大阪線沿線の桜井市にある笠山荒神A、3つ目は、奈良県の山奥、野迫川村にある立里荒神Bです。
 これ以外にも、あと2つ、日本三大荒神社を名乗る荒神社を見つけました。
 1つは、箕面の勝尾寺C、あと1つは、和歌山県橋本市の光三宝荒神Dです。
 特に箕面の勝尾寺は、荒神社の元祖・本家本元であると、ホームページに記されています。
 しかし、三大荒神というのは、何も法律で定められたものでもありませんので、どこが三大荒神と称しようと自由ですよね。
 また、奈良県にも奈良三大荒神がありました。笠山荒神、立里荒神に橿原市のすもも荒神Eを加えて、奈良三大荒神としています。
 それでは、荒神とは? 荒神は仏・法・僧の三宝の守護神とされるために三宝荒神とも呼ばれています。また三宝荒神は屋敷神、あるいは地神(じがみ)と考えられ、近世になると竈(カマド)の神とされ、各戸で台所の竈の所で祀られるようになりました。
 それではなぜ竈の神様なのか、なぜ火の守護神なのかといいますと、荒神供の作法の中に「若し我を帰依せんと欲せば、身心清浄にして大海大河の側、高山清潔の処に祭祠して上方世界に放ち送らるべし云々。」とあり、祭る身も、祭る処も清浄でなければなりません。竈は火を焚く処であり、火というものは一切を浄化する力を持っており、どんな不浄なものでも火にかけると清浄になると言われています。ですから荒神さんは火を好まれ、火を焚く竈を棲家とされていると考えられています。
 現在は竈からガスコンロや電気調理器と、火の使用形態は変わりましたが、火の有る処すべてに「荒神さん」はおられます。コンロの火の消えた時の荒神さんの安住の場所を造って、火をあつかう付近にお祀りをして、荒神さんに御守護をお願いしているのです。
 以下に、サイトに載っている六荒神さんの記事を紹介します。
一番目は、清荒神 @
  所在地 : 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地
  電話番号 : 0797−86−6641
  ホームページ : http://www.kiyoshikojin.or.jp/
  交通案内 : 阪急電車 宝塚線 清荒神駅下車 徒歩約15分
 清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め、戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は寛平8年(896年)に、叡山の高僧静観僧正を迎え開山の祖とし、まず伊勢内宮など15神を勧請し、鎮守神として三宝荒神社を祀り、天皇より「日本第一清荒神」の称号を与えられました。
一願地蔵尊と本堂
 二番目は、笠山荒神 A
  所在地 : 奈良県桜井市笠 笠山(鷲峯山じゅぶさん)。
  電話番号 : 0744−48−8312
  交通案内 : JR桜井線・近鉄大阪線 桜井駅下車 奈良交通バス
           小夫行乗車 「笠山荒神社口」下車 徒歩約30分
 日本第一笠山荒神は三千年の昔から笠山鷲峯山(じゅぶさん)に祀られ、峯谷(ぶこく)を御神体として、人々は入山することなく、霊神は笠山のすそ野である山の辺の道に散在する社寺の三宝(仏・法・僧)を守る神、つまり奥の院として栄えたとされています。御祭神は初めて火を起こし、物を煮て食べる事を教えられた土祖神(はにおやのかみ)・興津彦神(おきつひこのみこと)・興津姫神(おきつひめのみこと)の三神で、火を鎮める神、竈の神として信仰を集めています。
 霊場・閼伽井(あかい):空海上人が高野山の建立を志して笠山に来て笠寺に寄寓するが、鷲峯山は入山禁止のため、この「閼伽井」を行場とし高野に向かうが、思うにまかせず、再度閼伽井で水行をして不動明王を祀り荒神の分身を授かり、高野に戻って一山寺を開山したと伝わっています。又、この分神を吉野の立里(たてり)に奉祀して「立里荒神」と名付けたと言われています。

笠山荒神社 拝殿
 三番目は、立里荒神 B
  所在地 : 奈良県吉野郡野迫川村池津川荒神岳347
  電話番号 : 0747−37−2001
  交通案内 : 南海電車 高野線 高野山駅(ケーブルカー)下車
           南海りんかんバス急行立里行き(完全予約制)乗車 
           立里荒神前 下車 すぐ
 立里荒神の御祭神は、火産霊神(ほむすびのかみ)・誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
 縁起では、弘法大師が高野山を開くにあたって、伽藍繁昌密教守護のため、板に三宝荒神を描いて古荒神の地に祀るとともに、壇上の鬼門にも荒神を勧請して高野山の大伽藍が成ったといわれています。以来、高野山と結ぶ神仏習合の宮として、明治初年まで宝積院と称し、高野山地蔵院末そして鐘楼堂も備えていました。明治の廃仏毀釈で宝積院を廃し、仏体などを池津川へ移して単に荒神社と称して、現在の形となりました。
立里荒神社 本殿
 四番目は、勝尾寺 C
  所在地 : 大阪府箕面市粟生間谷2914−1
  電話番号 : 072−721−7010
  ホームページ : http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/
  交通案内 : 北大阪急行千里中央駅・阪急千里線北千里駅下車 
           阪急バス余野行きまたは北摂霊園行き乗車 勝尾寺下車 すぐ
 開成皇子が御感得になった日本最初三宝荒神は、千有余年にわたり悪事災難をはらい勝運を招く日本三大荒神のはらい荒神としてその威神力を誇っています。
 勝尾寺の荒神さんについては、この程度の記述しかされていません。
 勝尾寺は、日本最初の荒神の出現地として、毎年1月28日に「厄払い初荒神大祭」、採燈護摩を行っています。そして、日本三大荒神の一つと称しておられます。勝尾寺がいう日本三大荒神とは、宝塚の清荒神、高野山の立里荒神に、勝尾寺を加えたものだそうです。

勝尾寺 荒神堂 全景
 五番目は、光三宝荒神 D
  所在地 : 和歌山県橋本市神野々840−1
  電話番号 : 0736−32−7484
  交通案内 : JR和歌山線 紀伊山田駅下車 南へ徒歩約10分
 空海上人が高野山を開創するまでは、七堂伽藍が甍を並べ神野野寺として栄えていました。都如使主(つかのおみ)の子孫に豊内丸、田村麿という2人がおり、この豊内丸こそ高野山御開創の大恩人であり、高野山では高野明神、地方では狩場明神として祀られています。空海上人の高野山御開創に大変協力し、当地にあった寺院、仏像等を高野山へ提供したことにより、当地は僅かに観音寺だけ残り、現在に至っています。
 寛治4年白河法皇が熊野参拝の途中当地に立ち寄られ、当地の伽藍が荒廃甚だしいのを見て、観音寺に詣で当地の興隆を一心に祈念されました。その時、当地巽(たつみ)の方が急に明るくなり、そちらに歩を進めると、三面六臂の鬼神が立っていました。法皇が「一体お前は何者か」と尋ねると、「我は是れ三宝を衛護する荒神なり、叡慮に応え奉りて当地を守護せん」と言ったといいます。法皇は早速奈良の仏師に命じて御神体を刻ませ、祠を設けて祭祀されました。
 これが三宝荒神であり、光明燐然と輝いていたところから、光三宝大荒神と言うようになり、また天より舞い降りられた所から、天日神として崇め奉るのだといいます。その姿を見ますと三面六臂であります。三面は大日、不動、文珠の三尊かと考えられています。お経の中に「昔日の三人は大日如来、文珠師利、不動明王、亦貧瞋癡、今日は三鬼亦復是の如し。意荒立つ時は三宝荒神、意若しくは寂なる時は本有の如来なり。」と読まれています。
 正面の顔は大変柔和で大日如来の姿です。首にはこれを表す宝冠があります。次に六臂つまり手ですが、第一の手は左右合わせて合掌してます。これは如来の姿です。次に第二の手は、右には蓮花を持ち左は宝珠を持っています。蓮花は仏心にして大慈悲を示しています。
 次に宝珠ですが、宝珠は宝で福分の豊かさを表しています。次に第三の手ですが、これは両手とも掌を開き外に向って少し垂れています。これは与願、万人の願いを聞きいれるという印です。この印は片方だけでも与願になるのですが、光荒神は両方を開いており、その慈悲心の深さ、偉大さを表しています。

光三宝荒神社 本殿
倭迹迹日百襲姫命大市墓(箸大墓) 「卑弥呼の墓 」
 最後に番外で、奈良県の3大荒神の1つ すもも荒神 E
  所在地 : 奈良県橿原市小綱町
  問合せ : 橿原市役所 市民経済部 観光課
  電話番号 : 0744−22−4001
  交通案内 : 近鉄電車 橿原線 八木西口駅下車 西へ徒歩約5分
 「すももの荒神さん」は、奈良県の三大荒神のひとつです。入鹿神社本殿に安置されている厨子に収められた木造の荒神像は、年に1度、6月28日だけ、小綱(しょうこ)町の小さいお堂に運ばれます。毎年すももの季節に行われる「すももの荒神さん」は市民の火難よけ、交通安全を願って行われる祭りで、大和の最も早い夏祭りです。

すもも荒神社 全景
荒神とは?
 一説によりますと、このような荒神というものは、山林修行者たちが山に入り込む以前から、その山を生活の場としていた地元の人たち、とりわけ、狩猟を生業とする山人たちのことだと考えられます。ある日突然、見も知らぬ異形の男が他所からやって来て、彼らの生活圏の中に、ずけずけと踏み込み、勝手に木を伐っては小屋を作り、あるいは大声をあげて訳の分からぬことを唱える。彼らは当然に出て行ってくれと迫り、時には数人で押し掛けて行者に詰め寄り、暴力的な恫喝にまで及ぶこともあります。八面八臂の荒神とは、そうした山人たちのことであり、荒神供とは、彼らをなだめるための饗応だったのかもしれません。
 このような、以前からの土地の人との軋轢は、山林寺院の建立に当たっては、しばしば惹き起こされたものでした。高野山における狩場明神や丹生明神の物語もその例でしょう。比叡山の日枝山王権現も同様です。
 屋敷神や地神になってゆくのは、その土地について、潜在的根元的所有権を持っているのは荒神であるという考えが延長されたものかもしれません。カマドの神となるのは、古い日本の家屋では、台所は土間であり、その土間の隅にカマドが土で築かれていたからでしょう。
 以上のように、荒神さんについては諸説がありますが、いずれも財産、万民等を守る守護神として古くから信仰を集め、近年には火の神様、厄除けの神様として多くの参拝者が、それぞれの信仰する荒神社にお参りされておられます。
(by A.kawabata)