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| 京都・宇治 お茶の香りと宇治十帖めぐり 00年5月号 京都府宇治市 |
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“もっと時間をかけて、来ていただければ、ありがたいのですが”と宇治橋の西詰めの茶店で言われた。あたりは、むせるような茶の香りである。 そうですね、と答えながら数年前にも同じ店で、同じことを言われたことを思い出している。 宇治は京都と奈良の中間にある。平等院に詣でて茶店で一服、それだけで満足して、去る人が多い。朝はやく宇治川の川面にたちこめる川霧も、夕暮れの白山神社の静寂も知らぬままに、である。 すこしは、立ちどまってみなければ申しわけない。宇治神社の石段に腰をおろしてみた。すぐ下に左右に延びる道がある。その先に低い堤。堤の向こうに宇治川の流れがある。流れの中央に橘島。向こう岸に、藤原頼通が極楽を具現したという平等院の甍がみえる。流れに沿い右に宇治橋、左に十三重石塔。 石段下の道をゆきかう人は多い。どこから来てどこへ行くのか。おしゃれなバッグを背にした若い人も、足ごしらえをした年配の人も、立ちどまらない。 おもえば、古来この地で“もっとゆっくりおすごしになれば”という言葉がいくどかわされたであろう。ここは平安京と南都を結ぶ街道筋であり、京の貴族たちの別邸の並ぶ高雅な土地でもある。行き来する人は、宇治の美しさに賛嘆しながらもいそがしく通りすぎたであろう。 あの、源氏物語「宇治十帖」には、来ぬ人を待つやるせなさ、来た人を引き留められぬ、やりきれなさが、霧の中のつぶやきのようにつづられている。 その幽遠の世界を、宇治の人々は健気にも現実のものにしようと努めておられる。いまや、ものの一、二時間もあれば、「橋姫」「椎本」「総角」「早蕨」「宿木」「東屋」「浮舟」「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」という十帖のすべてのゆかりを巡回できるよう設定してある。 これで、宇治を訪ねる人の滞在時間がすこしでも長くなるのではないか、そういえば、目の前を通り過ぎる人々も、ゆかりの地を回っているのかもしれない。 宇治十帖は光源氏が世を去ったあと、その子その孫の世代の物語である。 世をはかなんで隠棲した八の宮とよばれる人が宇治にいた。その邸を源氏の血をひく薫と匂宮が訪ねる。ふたりは名のとおり、かぐわしい薫りをまきちらす若君である。ふたりは、たちまち八の宮の姫君たちと恋におちる。美しく知的な姉の大君、華やかな妹の中君、さらには母ちがいの妹浮舟うきふね。恋はめんめんと嫋々じょうじょうとつづき、心を痛めた浮舟は入水をはかる。 いまように言えば、源氏物語はまったくのフィクションである。舞台を宇治にとってはいても、紫式部の夢は自由にはばたいたであろう。それを現実に定着させるのはむずかしい。そのことに宇治の人々は挑戦して適切におさめた。その努力と宇治の美観とが共鳴して、十帖めぐりはなかなかに風情がある。歴史の遺産を、現代に生かす試みは全国で行われているが、宇治のそれは、低俗におちいらず、閑雅にこもらず、かなり成功しているのではあるまいか。 いま腰を下ろしている宇治神社の東北隅に早蕨の碑、その北に総角の石碑、右手にみえる宇治橋の辺に橋姫の古跡、といったぐあいにゆかりの地が続く。 ただ、やはり現代である。平安の幽玄に代わって、自動車やオートバイの騒音に満ちていて、活気があるといえばあるが――などと、言わでものことをつぶやいていたら、冒頭の言葉になったのである。 ですから、もっとゆっくり、できれば一泊、二泊でおいでください。そうすれば、川霧のたちこめる朝にも出あえて、薫君と匂君の舟がこぎ出してくるような気分になりますよ、と。 石段を下りてゆく女子大生の話声がきこえた。「わたし、浮舟が身を投げようとしたの、分かるような気がするわ。なんだかはっきりしない男ばっかり、だもの」ということだった。 そうかもしれない。源氏の中の男談義を続けながら行く。近ごろは逆なんですね。源氏の君の時代には、男が雨の夜に女性のあれこれを論じたものなのに。 与謝野晶子の歌碑がある。その碑面をたどりながら朗唱する老夫婦がいる。 平等院の南西にまわって、県神社にお詣りした。いつの年だったか、この社で毎年六月に行われる暗闇祭の日に出会ったことがある。夜店をのぞきながら歩いていると、土地の人が言う。祭りのさなかに一瞬、灯火が消されて真っ暗闇になる。仲のいい恋人たちは、その瞬間を楽しみに待っているんですよ、と。 ほんとかどうか、たしかめたことはない。ただ、宇治はいまもなお恋のまちであるな、とほほえましく思い出す。 |
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