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| 神の裳裾にふれて甘えられるところ 山の辺の道 93年7月号 奈良県桜井市 |
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「あそこは甘えん坊のいくとこやネ」と詩人・富士正晴が言ったことがある。 聞き手の私がけげんそうな顔をしたのであろう。「何かに甘えたくなるときがあるやろ。そういうときに行くとええわ。“山の辺の道”はだれでも甘えさせてくれるとこや」と説明してくれた。 “竹林の賢人”といわれた富士さんが大阪・茨木市安威の竹林に囲まれた家で、昭和六十二年七月七十三歳で永眠する直前のことである。心にしみいるような声であった。 その意味がわかるよううな気がしたのはJR桜井駅から歩いて小一時間ほど、道標をたよりに三輪山のすそをまわり大神神社の裏手あたりに入ったところである。 渓流のせせらぎも人々の跫音もそびえる古木に吸いとられてやさしくきこえる。古木は奥へおくへと分厚く続いている。 そのとき胸のなかで何かが溶けていくような思いがした。遠い昔味わった懐かしい気分である。それが何なのか。社前の茶店で「名物三輪そうめん」を口にしたときに気づいた。幼いころの母の膝まくらである。すべてをゆだねた気持ち。心理学者は胎内回帰がかなえられた境地というかもしれない。 日ごろ歩きなれない脚はかなりの疲労を訴えているのに、体全体に安らぎがひろがる。まことにふしぎな体験であった。 母の膝まくらを想ったのは、私がいまだに幼児期のカラをもちつづけ、しかも信仰うすい罰あたりだからであろう。三輪山は、山そのものがご神体なのである。大神神社のご拝殿で頭を垂れるとそのままお山を拝むことになる。 三輪山のすそをめぐる「山の辺の道」を歩くことは神の裳裾にふれつつゆくことになる。心の安らぎは当然のことかもしれない。 |
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| ここで謡曲「三輪」を思いだされる方も多いだろう。女人に姿をかえた三輪の神が高僧・玄賓をたずねる設定である。その「げにや老少不定にて世のなかなかに身は残り…なす事なくていたずらに」のくだりは、なすこともなく年老いた万人共通の嘆きをあらわして胸を打つ。 山の辺の道は、大和盆地が低湿地であった古代に、三輪山や巻向山、竜王山などの山麓に沿って使われた自然道のひとつ。かつては竹内街道や大阪・難波からの水路にもつながり大いににぎわった。いまも桜井市から天理市まで東海自然歩道と重なってたどることができ、生活道路にもハイキングコースにもなっている。 古くから万葉集などにうたわれることが多く、道には五十をこえる歌碑があり、その額田王や柿本人麻呂、高市皇子の歌をメモしながらゆく人もいる。主な歌は川端康成や武者小路実篤ら現代の文化人の筆による碑文で刻まれている。 三輪神社のやや北に展望台があり、その眺めはまさに「国のまほろば」。広い盆地のむこうに耳成山、畝傍山、天香具山がならび、遠く葛城、金剛の峰もみえる。 眺めの良さをいえば、さらに北の桧原神社をへて車谷へ至るあたりの遠望も、相撲神社まえからの眺望も捨てがたい。 さて、三輪のそうめんは「ゆでて太らず」といわれるとおり、熱い丼でも夏に好まれる冷そうめんでも形がくずれたりのびたりすることがない。これは一年のうちで厳寒期にしか製造しない律儀な大和人の心ばえによる。「昔ながらの製法をきちんと守る。これが山の辺の道の美しさとともにこの地に住む人々の誇りなんです」(桜井市企画係長・逸崎義明さん)という。 小高い丘から望めば、住宅や道路など開発の波が足元まで寄せているが、この心構えがある限りそうやすやすと古代の美しさを明け渡すことはなさそうである。 |
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