歴史街道ロマン紀行

さりげなく美のシンフォニーを奏でる女人高野
 室生寺

95年5月号 奈良県室生村


 こどもが小さかったころ、よくハイキングをした。
 ある日、奈良の奥山で迷い心細くなりかけたころ、「右伊勢路左室生道」の道標をみつけた。
 ところが、記憶の中にある室生の流れらしいものにはなかなかであえず、ますます心細くなったものである。
 室生寺へむかう道は、東西南北からの四通りがある。東は田口から長楽寺、南は高井から仏隆寺、北は名張から常勒寺を経て入る。
 バスでしか行ったことのないわたしは西の入り口、室生川の渓流と重なりあう大野寺を経る道しか知らなかったのだった。
 いずれにせよ、室生寺へ入るには室生川にかかる太鼓橋を渡ることになる。小さくさりげない橋でここがほんとにあの、とおもうけれども、ほんとにそうである。
 橋のたもとによく知られた旅館橋本屋がある。橋を渡ると山門があり、「女人高野室生寺」の石標が立っている。
 山門から右に折れると、渓流沿いに杉の巨木が三本並んでいる。巨木のさきでまた左に折れ、曲がるとさらに右へ折れる。
 折れ曲がるとはいっても、平地の城郭のように人を拒む気配はない。目をさえぎる石垣も塀もなくおだやかな表情である。
 仁王門を入ってもういちど曲がると、ちょうどいい幅の石段がある。よろい坂とよばれるこの石段は、一段ごとの高さも全体の高さも、高くもなく低くもなく、これまたちょうどいい。
 ここで、ちょうどいい、などと思うのは、すでに女人高野の魅力にひきこまれているのである。ともかくも、どこかを曲がるたびに美しいものが現れてくる。
 よろい坂を上ると正面に金堂、左手に弥勒堂。金堂は台地にはりだしており、上っていくものからみれば、舞台の上に荘厳な装置が設けられているようにみえる。
 金堂の奥から、ご本尊の釈迦如来像、十一面観音、文殊、薬師の諸仏がじっと慈悲深いまなざしをなげかけている。
 また左へ曲がり石段を上がる。本堂がある。さらに右へ左へ曲がると五重塔がある。小さい。かわいい。一層のひさしに手がとどきそうである。いっそ、いじらしいといったほうがいい。
 この、さりげなく人を迎えいれ折れ曲がるたびに、はっとさせる展開は、ライトの設計した旧帝国ホテルの仕様に共通する。
 あのホテルは、どの入り口も小さく狭かった。そのなにげない顔で客を迎え入れながら、階段を上り、廊下の角を曲がるたびに美しい展開をみせてくれた。小さなメロディーがやがて共鳴して大きなシンフォニーになるように、訪ねるたびに胸の高鳴りをおぼえたものである。 初夏の室生寺はシャクナゲの淡紅色で装っている。春のサクラ、秋の紅葉と、この寺は季節ごとに華やかな衣装をまとう。だが、この構造の妙だけでも十分にみごたえがある。
 門前にしゃれた観光客向けの店がふえている。ある店では「今年は阪神大震災いらい人出が少なくなって」という。
 ひなびたお菓子屋さんがある。「大正のはじめ、山仕事をしていた祖父が店をだしたのですが」と八十歳をこえた森本松治郎さん。「あのころ旅館の橋本さんのほかは何もなかったそうです」
 そういいながら森本さんは店先で、よもぎ餅をつくる。戦争中、大阪で働き、空襲にあって親元に引きあげた。以来ほぼ五十年も、同じ味の餅をつくっている。
「昔は大阪にいくのに半日かけて桜井まで歩き、電車に乗りました。お参りにみえる方も遠くからきて、ゆっくり見学されたものです。いまは自動車でさっと……」
 もっとゆっくりなさったらいいのに――森本さんは、案じながら今日も、よもぎ餅をつくる。