![]() |
|||
すべてが古く、すべてが新しい お伊勢さん |
|||
| 93年9月号 三重県伊勢市 | |||
伊勢は明るい。 車窓に流れる野も山も、伊勢路に入ると急に輝きはじめ、樹木の緑も生き生きとしてくる。 今年、遷宮を迎えている内宮、外宮に参拝する。大鳥居をくぐって大樹に囲まれた参道に入る、 いずれも、正宮はすでに二十年の歳月を経た静かなお姿。並んで新殿のお屋根がみえる。白木の肌がはっとするほど、明るい。 ご神体を新殿へお遷しする遷御は、この十月、行われる。 遷宮の制度が始まって一三〇〇年余り。戦国期の中断があり、今年は第六十一回目。旧殿と新殿(のごく一部だが)を拝む機会は、それほどあろうとは思えない。 |
|||
| ドイツの建築学者、ブルーノ・タウト(一八八〇〜一九三八)が神宮を参拝したのはどういう時期だったろうか。白木の簡素な美にうたれた彼は、世界に類をみない美しさ、と書いた。 それは神宮への畏敬の念であると共に、二十年ごとに建て直すことで、信仰の対象であり希有の木造建築である建物を永遠に残そうとした日本人への賛嘆であったかもしれない。ギリシャ人は永遠をめざして石造の神殿を造ったが、いまそれらは崩壊している。 二十年という歳月は、短くもあり長くもある。朽ちる運命の木造建物の建てかえや、忘れ去られる技術の伝承にはちょうどよい時間ではあるまいか。二、三十代の人が四、五十代になり伝承すべき相手を探す時期でもある。これ以上待てば何かが失われるであろう。 伊勢のご神殿は、二十年ごとに建て直されるというより、生命をふきこまれて蘇るのである。 永遠なるものと、限られた人の生命。伝えるということと受け止めるということ――。 感慨にふけりつつ内宮の大鳥居を出ると、右手に電信柱のない敷石畳の涼しげな通りがみえた。両側には、淡灰色の瓦をかぶり、妻入りで下見板に囲まれた伝統的な伊勢の家だが、真新しく、明るい。 「おはらい町」とある。 「伝統的な町並みが消えてゆく。保存したい。けれども古い町をそのまま残すのでなく、現代人が生きて暮らしている。そういう町はできないものか。ちかごろ、お参りだけで通りすぎてゆく人々の足を少しでも引き留められるならばなおいい。そういう町の方々の願いが実って造られた通りですよ」(伊勢市企画広報課長補佐・上嶋直視さん)という。 昭和五十四年に地元の人々が、内宮門前町再開発委員会を結成、五十軒余りが参加して、この、おしゃれな町を育てている。 |
|||
| もうひとつ、伊勢の街づくり運動として「ザ伊勢講」がある。 昔、全国に伊勢信仰をひろめた「御師」とよばれる人々がいた。起源は、平安時代の祈祷者たちだが、のち伊勢参りの旅のコンダクター役も務めるようになった。 平成元年に有志が集まり、かつての御師の役割を果たそうと組織を作り、店や自宅を私設博物館風に開放して「まちかど博物館」としたり、参拝客の案内役を務めたりしている。 その博物館の一つ「和具屋」をたずねる。表は陶器の店。営業中で忙しいのに、女主人の大西とよのさん(七十五歳)が、奥深い倉庫へ案内してくれ、次にご先祖の集めた貴重な歌舞伎錦絵コレクションを披露してくれる。 すべてが古めかしく、しかも、すべてが新しい。 永遠なるものと、限られた人の生命――それを庶民感覚で翻訳すると、こうなるのか。 外へ出ると、もう夕暮れ。 「これじゃ、伊勢のおもしろさは一泊しないとわかりませんね」というと、「その通りですよ。昔のお伊勢参りは、みなさんそうでしたもの」。大西さんは落ち着きはらって、こたえるのだった。 |
|||