五百年も前のことじゃそうな。近江の国の守護佐々木高頼さまという偉いお方が旅の僧に身をやつして、民の暮しを見て廻られたそうな。湖南の粟津あたりに来たところ、日はとっぷりと暮れて、ちらちらしていた雪が、やがて吹雪になったそうな。そのとき、ポツリ家の灯が見えてきた。高頼さまが灯を目当てに歩いていくと、松原の中に、雪をすっぽりかぶった塚のそばに墓守りの荒屋(あばらや)があったそうじゃ。
高頼さまが一夜のお宿をお願いなさると、
「何もございませんが、ご遠慮なく、どうぞお入り下され」
中から美しい女性の声がしたと─。
高頼さまは、女がふるまう囲炉裏(いろり)の暖かさと、馳走の粟がゆでからだが暖ってくると、昼間の疲れから、まどろんでしもうたそうな。すると夢の中で、先ほどの女性が現れ
「われこそは木曽義仲が内室・巴御前なり」
と名乗ったそうじゃ。巴御前の語るところによると、いまを去る三百年前の治承四年、信濃、北陸の平家勢を蹴散らし、都へ攻め上ったと─。
ところが、後白河法皇さまと不仲になり、法皇さまは義仲追討の院宣を鎌倉の源頼朝さまにお下しになった。義仲さまは、攻め寄せる鎌倉勢の源範頼さま、義経さまと戦ったが、武運つたなく粟津ヶ原で討死なされた、ということじゃ。
逆賊にされた義仲さまの屍はそのまま打ち捨てられていたのを、里人が密かに葬ったそうな。
「どなたかは存ぜねど、われらのあとを弔って賜(た)び給え」
はっとして、夢から醒めた高頼さまの前からは、女性の姿はかき消えていたそうじゃ。高頼さまは
「仏になれば賊軍も官軍もなかるべし。われらも近江源氏の流れをくむ佐々木が家柄。一寺など建立いたして弔うべし」
と仰せあって、「義仲寺(ぎちゅうじ)(現在、大津市馬場一丁目)」をお建てになったということじゃ。
1991年10月掲載
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