世界的な建築家ブルーノ・タウトは昭和八年、ナチス秘密警察の追跡の手をのがれて、日本に逃避してきた。彼は日本の各地の建造物を見て回るうち、伊勢神宮に大きな感銘をおぼえたという。
戦前、学生時代に読んだ彼の名著「日本美の再発見」(岩波書店刊、昭和十四年)の巻頭言には「最大の単純のなかに、最大の芸術がある」と記している。
そして、唯一神明造とよばれる伊勢神宮の「清楚な素木(しらき)の社殿、やわらかな曲線の萱葺屋根、掘っ立て柱、反(そり)のない軒・棟、天にむかって伸びる千木(ちぎ)。この単純な構造自体のもつ美的要素に、日本固有の文化の精髄としての古典的天才的な創造建築を見た」とし、「実に原日本文化は伊勢神宮において、その極地に達した」と絶賛している。
「日本書紀」によれば、天皇と日本民族の祖先である太陽神の天照大神を祭る皇大神宮(内宮)は垂仁天皇(一世紀)が現在の伊勢市宇治の五十鈴川上に斎(いつ)き奉り、農業の守護神の豊受大御神を祭る豊受大神宮(外宮)は雄略天皇(五世紀)により、伊勢市山田の高倉山の麓に奉斎されたという。
太古の雰囲気を漂わせる社殿の建築は七世紀の奈良朝期にはじまる。当時は日本に仏教がひろまり、法隆寺、広隆寺などの寺院建築が盛んに行われた時期に当たるが、神宮は仏教建築の影響を受けることなく、また、室町期に起こった「わび・さび」の建築様式に影響されることもなく、日本美の源流である太古の面影を今日に伝えている。
参道の清らかな玉砂利を踏んで、拝所に進み、御神前にぬかずくと、西行法師が「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と歌ったように、神々しい気持ちになってくる。
1992年1月7日掲載
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